今回の参詣は、大森西にある諏訪神社へ。
ここは北に前回掲載した大森浅間神社 と南に内川、また東西に開桜小学校と大森第八中学校がある、戸建てやアパートが多い住宅街の中。
社務所
手水舎
境内
訪れたのが8月と、落ち葉などない季節ではあるけど、境内はとても綺麗。
神社の御由緒には創建年は不明で、江戸初期とも鎌倉時代ともいわれる。境内には昭和三十九年(1964)六月に建立された「諏訪神社五百年記念碑」が立っていて、逆算すると寛正四年(1463)となる。
1463年は、第102代後花園天皇、室町幕府8代将軍足利義政の代。1964年は、アジア初となる東京五輪開催、ホテルニューオータニ開業の時代。
狛犬と獅子
右側が阿形、左が吽形。
当社独特のデザインだろう。崖から一歩踏み出して威嚇するかのような仕草。顔の輪郭が三角形で、吽形には角があるので、こちらが狛犬。阿形が獅子。
石碑
境内左奥。
「村社昇格記念 陸軍大将男爵荒木貞夫書(花押)」とある。
村を代表する神社に列し、またそれだけ広域な御神徳があると内外から捉えられるので、地域としても神社としても大変な名誉。
御由緒 境内掲示より字体改行などそのまま記載
諏訪神社略縁起
本社 諏訪神社 御祭神 建御名方神
末社 諏訪神社(下社) 御祭神 八坂刀賈命
末社 稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂命
境外末社 金山神社 御祭神 金山彦大神
当社御鎮座の年代は明らかではないが、その昔大森海岸袖ヶ浦へ着岸
された御神体を村民が尊崇して一祠を建立したといわれ、御創建は、江
戸初期ともいわれているが、区内の社寺の多くが鎌倉時代を機として其
の源を発していることを考えると更に遡るものと思われる。古老の多くも
この様に語られ昭和三十九年には五百年祭が盛大に執行された。
御祭神の建御名方神は大国主命の第二子にましまして風水被害や流行病
を防ぎ農耕の神として又漁業の神としての信仰厚く、特に武神としての
ほまれ高くはなはだ霊力強き神として氏子の敬神の念益々厚く、神威赫
々として今日に到っている。
昭和十一年には村社に定められ、東京府下荏原郡大森村字山谷(東山
谷-大森東二丁目、南山谷-大森西三丁目、北山谷-大森西二丁目)の
鎮守であった。
昭和二十年戦災により社殿が焼失した為、昭和二十二年いち早く仮本
殿を復興する事となり、御神体を本社より勧請し、氏子総代金子太郎右
エ門宅に仮安置し、昭和二十三年本殿へご遷宮した。
現在の社殿(銅板葺流れ権現造)は昭和三十二年に復興され、境内に
は文政七年晃申年再建の鳥居をはじめ、狛犬、燈籠、手水屋、玉垣、記 ※晃申=甲申
念碑等が多数建立されている。又昭和五十四年には社務所を改築し、続
く昭和五十六年には神楽殿の新築をし氏子崇敬者一丸となって神慮を畏
み、氏神様を心のよりどころとして、豊かな人間生活形成の原点として
ますます道の精華を発揮している。
尚伝承として、境内に一匹の白蛇が住んで祭礼の時氏子多数お参りし
て知らずに白蛇の尾端を踏んだので、古来祭礼には必ず雨が降ると伝へら
れている。
昭和六十年九月吉日 諏訪神社
御社殿の彫刻
頭貫の龍
雲を掻き分け雷光と共に出る龍は迫力がある。波っぽく見えるけど、鳥が飛んでいるので雲かな。
海老虹梁の昇り龍降り龍
よくよく考えてみれば、一本の木から建築材としての形と役割を保ちつつ、龍まで掘ってしまう技術がすごい。平面と立体を一から作るのだから。
木鼻の唐獅子牡丹
小脇板の応龍・飛龍
わずかな空間でも緻密な彫り物が施されている。
下社
本殿左に鎮座するのは、諏訪神社の下社。
上社・下社というのは、東京・・というより関東圏ではあまり見受けないような。諏訪本宮に倣って設けられたのだろう。
祭神は八坂刀売命(やさかとめのみこと)。建御名方神(たてみなかたのかみ)の妃神。
稲荷社
社務所の向かって右側に鎮座する境内末社。
狐像は、右が巻物を咥えて子抱き、左が同じく巻物を咥えて宝珠を抱える。
社殿内をよく見ると、赤提灯に「伏見稲荷大明神」と読める。
中央の親提灯には「志ん橋」の文字。一番有名なのは浅草寺の志ん橋大提灯で、新橋からの寄進と言われる。「稲荷提灯」で検索してみると、大体この丸い親提灯と長提灯の3個セットが出てくる。デザイン重視でこうなったのだろうか。
写真はすべて2015.8.30 撮影
備考
社号 諏訪神社
祭神 建御名方神
創建 伝江戸初期
祭日 五月下旬土日
末社 諏訪神社下社(八坂刀賈命)
稲荷神社(宇迦之御魂命)
社務所 神札授与あり
所在地 東京都大田区大森西2-23-6
その他 大森金山神社 を兼務














