仙気稲荷神社 せんきいなりじんじゃ
今回の参詣は、江東区は南砂にある稲荷神社。
その昔、宝六島と呼ばれたこの辺りを開拓した土木開発者、砂村新左衛門の名を取った砂村の地。町制施行にともなって砂町と変遷していくわけですが、それ以前から、歌川広重の名所江戸百景にも登場する富賀岡八幡社で賑わった地でもあります。
そんな砂町の集合住宅立ち並ぶエリアに古くからある仙氣稲荷を訪れてみます。
明治通りと葛西橋通りが交わる南砂四丁目交差点から3分程度、GSのエネオスを過ぎ、一つ目の角を曲がった先に幾つもの赤い幟が見えてきます。
奉納された紅白の幟が、この僅かな境内を囲み、一見、古びれ草臥れた雰囲気で、夜な夜な訪れたらさぞおどろどろしいだろうと思える景観ですが、一転、良く見ると清掃が行き届き、枯葉など一つも無い。
狐像は、わりとオーソドックスな意匠。左は宝珠を抱え、右は親子狐。
社名の「仙氣」とは疝気から来ていて下腹部の病にご利益があるとされる。疝気は、下腹部周辺の痛みや、それら部位にまつわる病気の総称。寄生虫病もこれにふくまれる。
歌川広景の『江戸名所道戯尽』に砂村せんき稲荷として登場する。
この絵から察するところ、元は大智稲荷大明神といい、霊験を呼称して仙気稲荷となったように思える。
センキイナリの名は、江戸期の古地図にもはっきりと登場する。由来にも有る通り、千葉へ遷座した後に残ったこの地に、そのまま稲荷社を置いたのが当仙氣稲荷神社の始まり。
由来 ルビ改行など、そのまま記載
この付近には以前砂村稲荷神社があり、文化・文政(1804
~29)の頃から疝気の病(おもに下腹痛)に霊験のある「砂
村の疝気稲荷」として栄えました。
昭和42年(1967)千葉県習志野市へ移転し、当地に稲荷小
祠が建てられました。南砂7丁目の富賀岡八幡宮の境内裏手
にある力石はこの時に移されたもので、この中には、力持ち
の有名人扇橋三次郎の名前も見られます。
社号 仙氣稲荷神社(仙氣稲荷大明神)
祭神
狐像
祭日
末社
社務所
住所 江東区南砂3-4-3




