ハイジ(冬登山10回目 藻琴山) | 想像と創造の毎日

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自分で撮影しております。


  たった一週間前に行ったばかりなのに、山の様子は違っている。まだツボ足で歩けるにしても、あの固かった雪はシャーベット状になりつつあり、歩く度にシャリシャリと音が鳴る。子供たちは記憶喪失だ。毎回、ただ歩くだけの道程に飽きて、帰りたいやらつまらないと駄々を捏ねるくせに、しばらく経ったらまた山へ登りたいと言うらしい。上りでは、誤魔化したり、宥めたりして、毎回なんとか頂上まで行くけど、いつも、次はさすがにもう行かないだろうなと思っていたら、時間が経つとやはり行くという。しかも、登山にはまったく嫌な記憶がないのだと宣う。今回こそは、普通に登れるんだろうな!と思ったのだが、やっぱり途中でグレ始め、しりとりとか競走とかしながら、騙し騙し行く羽目になるのだった。下の子が、よちよち歩きだったのを交代で抱っこしながら初めてこの山に一緒に登ってからもう、四年。四月から一年生になる子は、もう誰の助けも必要とせずに登って降りて来られる。ハイマツが頭を出し始め、滑り降りるソリの行く手を阻んだ。あの不機嫌な顔が、一瞬にして歓喜の色に染まる、あの辛さ。もう、二度と来ないぞとすら思う上りの急登が、帰り道には絶叫アトラクションになる。あれだけ辛かった過程を一瞬で帳消しにするような、この無駄な、非効率な、無意味な。しかしそれがこの上なく贅沢だ。夏の鬱蒼とした森は、冬になると視界を妨げることのない真っ白な大地に変貌する。ここが、あの山なのか、と。あの同じ場所なのか、と。くちぶえはなぜーとおくまできこえるの、あのくもはなぜー、わたーしをまってるの。おしーえてーおじいーさんーおしーえてーおじいさんおしえてーーアルムのもりのきよー!いつも山ではこの歌を頭の中で歌っている。だってそうなんだ。山に登っていると、本当にこんな気持ちなのだ。この問は、永遠に問のままであることが大切なのだ。ハイジは答えを教えて欲しいわけではない。物事がただ不思議であることが。不思議なことにただ心が震えることが、生きていることの至上の価値なのだから。