「ねえ、兄ちゃん。海に行かない?」
「海?何しにいくんだよ。」
「何って、見に行くだけだよ。」
「夜だぞ、何も見えないよ。」
「そんなことないよ。」
僕は空を指差した。空にはもうちょっとでまん丸になりそうな月が浮かんでいた。
海岸に着いた僕らは砂浜に座り込み、波の音を聞きながら月明かりで青白く
浮かび上がった海を見ていた。
「いいだろう、夜の海って。」と僕は自慢げに言った。
「お前、よく見に来るのか。」
「たまにね。この間なんかさ、あそこのテトラポットの上に鷲がいたんだよ。」
「鷲?夜の海にか。」
「そうだよ。大きくてさ、爪やくちばしがすごい尖っててかっこよかったんだ。」
「お前はいつも夢見がちだな。」
「夢じゃないよ。本当にいたんだ。僕が近づいたら海のほうに飛んでっちゃった
んだ。」
「お前はいいな。何も考えてなくて・・・・。」
「じゃあ兄ちゃんは何を考えてるっていうの?」
「受験のこと。将来のこと。考えることはいくらでもあるよ。」
「僕だって将来のことくらい考えてるさ。兄ちゃんは将来何になるつもりなの?」
「俺はどこかの商社に勤めるつもりさ。」
「僕決めたんだ。父ちゃんの跡継ごうと思って。」
「自転車屋になるのか?」
「うん。パンク直すの得意だし、ここは海に近いし、この町も好きだからね。」
「そうか、でももう何年かすればお前も考えが変わるさ。」
「そうかもね。でもいいだろう?兄ちゃんが跡継がないなら僕が自転車屋になっ
ても。」
「あぁ、俺は自転車屋なんかになりたくない。お前がそうしたきゃ、好きなように
すればいいよ。」
「うん。そうする。」
その後兄貴は何か言いたそうに海の方を見たり、僕の方を見たりしながら大人
みたいに咳払いした。
「お前、彼女いるのか?」
「彼女?そんなのいないよ。」
「じゃあなんなんだよ。女の子は柔らかいとかなんとかって・・・。」
「ちょっと、手が触れただけさ。」
「本当にちょっとか。」
「本当にちょっとさ。」
「どんな女の子なんだ?」
「綺麗な子さ。」
「綺麗ってどう綺麗なんだ?」
「どうって、綺麗なものは綺麗なんだよ。それでちょっといい匂いがするんだ。」
「同じクラスの子か?」
「もう、なんだよ、うるさいな。兄ちゃんこそ好きな子ってどんな子なんだよ。」
「お、俺は・・・一つ歳下で、お前も知ってる女の子さ。」
「兄ちゃんより一つ歳下で、僕が知ってる・・・。」
「うん、知ってる。それ以上は言わないぞ。」
僕は血の気が引くっていうのがどういうことなのか、少しわかった気がした。
「はら、お前はどんな子なんだよ。」
「いやだ。僕は言わない。」
「教えろよ。」
「いやだ。絶対言わない。」
僕は立ち上がり、夜の砂浜を走って逃げ出した。逃げる必要なんてなかったかも
しれないけど、とにかく逃げた。そうせずにはいられなかった。なんてことだ、
よりによって兄貴が恋敵だなんて・・・・・・・。
どうすりゃいいんだ。どうしようもないか。いやどうしようもあるかな?
僕は家へ帰ると布団にもぐりこみ、寝たふりをした。あとから兄貴が帰ってきて
も知らんぷりした。そのまましばらくは眠れなかった。ヤゴの姉ちゃんのことを考え
ると心臓がドキドキした。最初僕はそれがなんなのかよくわからなかった。
ただ変な気持ちだった。どうしても眠れないので僕は何かいい方法はないかと、
鼻の穴に指を突っ込んだり、尻をかいたりしたが全然眠れなかった。
でも枕の端っこをがぶっと噛んでみると、なぜか落ちついてそのまま眠った。