バナは煙草を吸いながらテレビを見ていた。
「おぉ、どうした、ペット吹きに来たか?」
「うん、でも本当はちょっと寄ってみただけ。」
「バナナ食うか?」
僕はバナナを食いながら、ヤゴの姉ちゃんの手の感触を思い出していた。
「うん・・・・どうした?そんなにぼーっとしながら食ってたら皮まで食っちまうぞ。」
バナは鼻くそをほじりながらそう言うので、僕は我に返り馬鹿みたいに大笑い
した。
それから僕はトランペットを持って屋上に出た。何度か練習してみたけど、やっ
ぱり何も音は出なかった。トランペットに口をつけたまま、気がつくと僕はヤゴの姉
ちゃんのことを考えていた。
「さっき一緒にいた娘は誰だ?」
「プーッ!」
音が出た。
「おおっ、やったじゃないか。」
バナは僕の後ろで手をたたいていた。確かに音が出たのは嬉しかった。
でもバナが喫茶店の外で僕とヤゴの姉ちゃんが一緒にいるところを見ていたかと
思うと恥ずかしいほうが先だった。
「ヤゴの姉ちゃんだよ。」
「おぉそうか・・・・・。まぁそれはいいが、持って帰っていいぞ、そのペット。」
「本当に?」
「あぁ、約束だからな。」
「有難う。でももうちょっとここで練習していい?」
「もちろんだ。好きなだけ練習しろ。」
僕は沈みかけた太陽に向かって吹いてみた。それからは音がでたりでなかったり
の繰り返しだったけど、だんだんこつがつかめてくるとつづけて音がでるようになっ
てきた。
プーッ、プーッ、プゥーッ。
きっと今日のことは忘れない。初めて女の子とデートをし、初めてトランペットの音
がでた日だ。いつかもっとうまく吹けるようになったらコンサートをやろう。その時
は女の子をたくさん呼ぼう。でも確かキッスにトランペットの人はいなかったなぁ・・
まぁいいや、とりあえずヤゴの姉ちゃんに聴かせられるくらいは上手くなろう。
プーッ、プーッ、プゥーッ。
僕はあの日から自分が少しだけ大人になったような気がしていた。
父ちゃんのおならよりはいくらかまともな音をだせるようになり、女の子の手が凄く
柔らかいということを知った。ただそれだけだった。でも僕にとってそれは三角形の
面積の求め方より、地図に描いてある目玉みたいな印が工場なのか、灯台なのか
を知るよりもよっぽど重要だった。そして僕はもう一つ重要なことに気がついた。
父ちゃんと母ちゃんの歳の差は僕とヤゴの姉ちゃんと同じで三つだってこと。
確かに父ちゃんは母ちゃんよりも年上で、僕よりヤゴの姉ちゃんの方が年上だ。
男と女は逆だけど、そんなことたいした問題じゃない。きっとなんとかなるさ。
三年後、僕はあんなデブのマサなんかよりもかっこよくなってるはずさ。
でもその時はヤゴの姉ちゃんは高校生になってるだろう。やっぱり僕なんか子供に見えるんだろうか。
三年か・・・。一年生が四年生。四年生が中学一年生。
ずいぶん永いなぁ。そんなに待てるだろうか。その頃僕には別に好きな女の子でも
できてるんだろうか。僕は子供だ。でもそれは大人からみればヤゴの姉ちゃんも同じだ。大人が僕らのことを子供というから子供なんだ、と思うだけで本当のことはよ
く分らない。女の子を好きになると大人だ、と言われたこともなければトランペットの
音がでるようになったら大人だ、と言われたこともない。言われなきゃ何もわからないかと言えばそうでもない。じゃあいつから大人なんだ?
僕はそんなことを風呂の湯に潜ってぶくぶく泡をたてながら考えていた。