最近思ったことがあります。

 

 

先日親から連絡があって感じたこと。

 

苦しくても楽しくても不満がぬぐえなくても、取り組んでもなかなか解決しなくても。

どれでもいいんだと。

 

 

これは投げやりになった、どーでもいい!!と思った、ということではなく。

 

 

親から連絡がきた、と書いたのですが。

やはりね、まだ連絡が来るとモヤつくし、正直ストレスをドバっと体が感じていることがわかる。

 

親が心配している(いい年なのにね!って思うけれど)のも電話でわかるし、この行動をする気持ちがわかるというか、そういうものかもねという気持ちになっている。

 

 

私は親との関係を、モヤっとしたりせず受け止めたい気持ちやわかると寄り添える心になること。

親のことを理解したいという、ストレスなく自然体で関われるようになることを目標としている。

 

まぁまぁ長いこと取り組んできたし”もうこの勉強を終わりにする”ということではなく、生きている間は取り組み続けて心の進化を止めることはしない。

 

 

でもね。

思ったのです。

 

まぁ、自然体で関われたらと思うけれど、そうでなかったとしても、それでもいいんだな~って思えたんです。

 

 

ストレスがなくとか、楽しく生きれるようにとか考えてた。

そうじゃなくていいって。

 

楽しいに越したことはない。

でも、楽しいに固執するとまた歪んでいく。

 

不快感があった、ちょっと苦しくなっちゃった。

そういう言葉を素直に出せなくなる。

 

 

苦しくなったり、そういうつもりじゃなかったのに上手く伝えられなくて違和感を持たれてしまっりとか。(人との関わりの中でとか)

そういうことって、ちょっとしたズレや価値観の違いで起こり得ること。

 

 

そういう気持ちを持ったとしても、その時の状況を自分なりに何が違和感を持たせてしまったのか、どうしたら良かったかな・・って考える時間を持てたらそれでいい。

 

その場にとどまることなく、今度は気を付けようと切り替えて、その出来事と反省の心は起きたその日に置いていく。

 

 

こんな風に、起きた事を長く引きずらず、次はそうならないようにしよう!という気持ちを持って日々を重ねよう。

そんなことを思ったのです。

 

 

楽しいとかだけでなく、苦しかったり悲しかったりストレスがたっくさんになったり。

それでいいんじゃないって。

 

親とのことも、なかなか心が開かない部分であって、そこを否定することは無くなったけれど、電話が鳴るとストレス・・。

 

それでいいかって、なんだか思えたんです。

 

目標は目標として置いておいて、あとは流れに任せた!!みたいな感じ。

 

 

”完璧でなければならない”という、自分が自分に課していたこの課題が終わったのかもしれない。

そもそも完璧ではないけれど、完璧を演じることをやめた、ってことだと思う。

 

 

楽しければいいということも、思わなくなった。

楽しくても楽しくなくてもいい。

 

平凡で何も起こらなくても、平坦で波風立たない日でも。

何もしないで終わった日でも。

落ち込んだ日でも、傷ついた日でも。

 

 

それでいいな~って。