私たちは、いろんな人たちと関わりを持って生きている。


一人でいる時は本当に楽…。

だって摩擦もないし、自分の好きを選べて、誰にも迷惑なんてかけることもない。


誰の許可もいらないのだ。


ひとたび自分の世界に自分以外が現れた瞬間に、目の前の存在へ意識を向けざるおえなくなる。

共存していくために、相手を意識することは自然に起こりうること。


向ける意識が強ければ強いほど疲れやすかったり、相手を動かそうと躍起になる。



自分以外の存在により、自分の反応を見ることができる。


その反応が大きければ大きいほど、自分の深い部分に引っかかるものがある。

反応が薄くて流れていく場合、意識するほどでもない。


揺さぶられてどうにもならないものは、自分の中に残っていて、まだ自分もそれを持っているとわかり切れない何かがいる証拠。


それは大抵、認めたくないと思っているものが多く、自分の情けなさや意地汚さ、狭い心やずるさ、勇気のなさ、といったものだったりする。


そこを見ることで自分が整っていく。

見つけられたらもう終わりに近くなり、楽になる。


自分を整えるためにいる貴重な存在。


嫌だな、見たくないなと思っても、目を逸らさずに自分を整えたいと思う。