それぞれの役割があるということがわかってきた。

 

私はだいぶ前から、人と良いものを共有出来ないというものを持っている。f^_^;

 

 

それについてTomokoさんに先日講座の最後に『シェア出来ないというのも何か理由が他にあるのかもきれないし~』と仰っていた。

 

 

シェア出来ないことについてその時話をしていたのではないのですが、私がシェアが出来ないということを話したりブログに書いていたので、その言葉が話の流れから出てきた。

 

 

数週間経ち、それぞれに役割があるよな〜とふと思ったのです。

 

例えば講座を開いて人に伝えるということをやっていかれる方や、それを勉強したくてその方のところへ足を運ぶ方。

 

私が今ダンスを習っているように、ダンスの指導者として仕事をされていて、趣味として人生の楽しみのひとつに習いに行く、気分転換に行く、という立場の人も居る。

 

差し出している、伝えている方たちは、自然と伝えるという行動へ突き動かされてるんだと思う。

私はその伝えるが自然ではなく、勇気や頑張ってという、体への負担というか、緊張を伴わないとその行動が出来ない。

 

伝えることが自然に出来る人と、受け取ること(受け身的な部分も入れたいかも)が自然に出来る人と、持っているものによって(それはいろんな体験で変化すると思う)どちらが得意なのか、というのがあると思った。

 

 

差し出す人と受け取る人。

その両方があって始めてこの世のひとつの循環がおきている。

 

 

今、人間としてこの世に命を頂き存在しているということは、いろんなことをやってみる、体験してみる場であり、出来ない・苦手・・と思うことがあるのだとしたら、克服出来たらいいよね~!ということをやる場だと私は思っている。

 

それは克服出来ても、やっぱり苦手だわ・・と思うのもどちらも自分にとって自分を理解してあげる大事な心の動き。

 

シェアは出来ても出来なくてもよいのかもしれないな~って。

それに全くシェアが出来ない・やっていない人っていないと思った。

 

自分が発する言葉や行動が、目の前の人にとって何か感じることがあった場合、それは目の前の人に人生の中で大きな影響を与えている。

 

それは自分では意識していないけれど無意識にシェアしていることになるんじゃないかな~(*'▽')

 

 

私がシェア出来ないと思っているその感覚というのは、全て包み隠さず、良いも悪いも語れる自分になりたい、自分を開いていきたいという思いからなっている。

 

全てってかなりハードルは高いよなぁ。

高いハードルを掲げて苦しんでいる私にも気づく。

 

 

今の私は、シェア出来ることと出来ないことがある。

いつか全部をさらけ出せる?全部をオープンに出来る自分になれるように、日々を大切に生きよ~って思っている。

 

うん、それでいい(*^-^*)