お正月にいつも感じる感情
この時だけに発令する ということではなく
他の場面でもある
でも お正月に強く感情が出るのは確か
どんな感情なのか
それは怒り
"人が集まるという事が私は好きではないのです"前から
なぜなら 凄く疲れてしまうから
こう感じる私さえ いずれいなくなると思っている
ひつつ前のブログ 遺伝とそうでないこと の続きになります
お正月になるといつも 親戚を呼ぶ
今年はこんな状況である為
歩いて10分の親戚だけきた ひとりだけ
(マスクをずっとしていた)
子供の頃は
いとこが集まる事がとても楽しかったし
みんなで海へ行った事
今も楽しかったなぁ〜って気持ちが
心の中に残っている
純粋な部分が多かったから
出来事に対して
『会える=嬉しい』
になっていたのだと思う
大人になると
良い事も悪い事も身に付けている
後から私に引っ付いてきたものが
私をモヤモヤさせたりイライラさせたりする
講座でもこの件について向き合ってみて
"私らしくある事が出来ないから 集まるのが嫌なんだ"
という事にたどり着いた
親がお正月だから呼ばないと
と思っているだけで 私にはそういう気持ちがない
お正月だから呼ぶってなんだろう?って思っている
呼びたい時でいいんじゃない?って
まぁそれがお正月なのでしょうけれど
親のねばならないに付き合いたくない
というのが本音
そして手伝わないと
私に対してイライラしているのが一目瞭然
今年は”私は手伝いません”宣言をした
なんで手伝わないといけないの?が私の中にはずっとあった
人が来るのもいや 手伝うのもいや なのです
『わかった いいよ 』と言っていたのに
いざとなると…そうではなくて
イライラが再び湧き上がってくる。。
私の気持ちを伝えたのに
それでも私のイライラは変わらない
『まだある
まだ私の下に何かがある』
そして気づいた事があった
"私は思い通りに行かないとイラッとしたり ムカついたりする“
"わがままだ"
そうだ。。
人が集まると 私は思うように行動出来ないんだ
それで疲れたいやになるんだ
人のために動く事をずっとしていたので
それが 人が来る事でわたしに発令する
私の気持ちは抑え込み 誰かの為に動く
やりたくなくても
それをもっと噛み砕いてみてみると
私の人生 私を生きてはいけない
そんな思いが私を押さえつけていたんだ
やりたいようにやるのはわがままだ
という風に思っていた
やりたいようにやれなくて
今までずっと怒りを出していた私
それを無視して その場から逃げ続けていた
でもやっとその気持ちに向き合えた
そのやりたい気持ちに私が答えてあげないと
この怒りはおさまらない
やりたいようにやること
やってみたいことをやること
私の人生を自分が思うように生きること
これってダメなの?
わがままなこと??それほんと???
当たり前の事じゃない?
誰だってやりたい事を
自分がやれるのか挑戦してみたい事
私の人生を生きたいって願う事
わがままどころか
自然な事なんじゃない?
その当たり前な願いさえ
私は今までやってはいけないと禁止していたんだ
”それは他の誰でもない
私が私に禁止していたんだ”
今の私が
私が私を生きるんだ!ととても強く思っている根底に
こんな事があったからなんだなぁと
今 思っている
母親を返して見せられていた
私の気持ちだった
母親の責任でもなんでもない
今のままでは私は前に進めない
気づいたからには
私は自分が望む事を常に選択し続ける
shoko
