「自分のやりたい事ばかり、
勝手な事ばかりしてきて、ごめん」
ある日、突然開かれた家族会議。
ふりしぼるようにして発せられた、父の「ごめんね」を、
私は受け止めることができませんでした。
会社の経営がうまくいかなくなってから、
どのくらい経っていたのでしょう。
当時、自分のことばかりに夢中になっていた私には、
そんな「ごめんね」の背景に、
思いをめぐらせることもできませんでした。
仕事のストレスは、一切家庭に持ち込まない父でした。
仕事から帰ってきて不機嫌そうにしている父の姿は、
私の記憶にはありません。
家族には楽しい話題を。
お風呂では、絵描き歌を。
「おかえり、今日はどうだった?」
どんな時も、話を聞いてくれたり、
試験前、夜食を作ってくれたのも、父でした。
いつも、私の味方でいてくれたお父さん。
私が謝ることは、たくさんあっても、
謝られることなんて、何もない。
予想もしなかった「ごめん」の一言。
謝らなきゃいけないのは私、
「気づけなくてごめん」本当はそういいたいのに
ごめんねって、なに?
ごめんね、なんて言わないで。
ごめんね、謝ったって何の意味もないよ。
大好きな父から「ごめん」なんて言葉は聞きたくなくて、
私の口からは、父の思いを否定するような、
言葉ばかりが出てくるのでした。
男として、父親として、夫として、家族として。
経営者として、友人として、地域人として、社会の一員として。
様々な役割の中で、目の前の一人のことを、
きっと、心から愛していたであろう父の心。
心から守りたかったであろう、父の心。
そんな父の中にあった、父にしかわからない、孤独、恐怖、葛藤。
どれだけ経っても、私には到底わからない事なのだと思います。
でも、
会えなくなって、素直に語りかけられるようになって、
そして、ちょっとだけ大人になった今なら、
受け止めてあげられるかもしれない。
あの頃受け取ることができなかった
父の、心からの 「ごめんね」
そして、少し戸惑うかもしれないけれど、
今ならきっと、言えると思うのです。
「うん。。。 いいよ、」 って。
パパへ
私たちのこと心から、
大切にしてくれて ありがとう。
私たちのこと何よりも
愛してくれて ありがとう。
今日も私は、こんな笑顔で、一日を生きてゆくからね。
