「赤ちゃん連れフォトグラファー」
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「夢を諦めない!NLPマスターコーチ」
Azusaです。
ご覧いただきありがとうございます。
投稿六百十二回目は
「迎えた母の2回目の命日。
失った悲しみを、心に同居させてくれたもの。」
について書きたいと思います。
(初めてお越しの方は
こちらの自己紹介をご覧いただけたら
嬉しいです!)
↑ ↑ ↑
※自己紹介、リニューアルしています!
今日は
母の命日とされている日です。
母が突然この世を去ってから
2年が経ちましたが
2年が経過しても
どうして母は亡くなったのか
真実は分かりません。
ただ
いずれにせよ
もう
母には会うことが出来ない
その事実だけは
確かです。
そして
2年の歳月が経過しても
やはり未だに母を想うと
涙が溢れてきてしまいます。
大切な人を失った悲しみは
そうなかなか
癒えてくれるものではないと
身を以て感じます。
それでも
おそらく母は
いつも近くで見守ってくれている
そう信じていて
そして
そうした存在が心の中に
在り続けることが
私に大きな安心を
与えてくれています。

不思議な話なのですが
母のことを想って
めそめそしていると
いつも
不自然なことが起こるのです。
その中でも最も驚いたのは
前回
日本に一時帰国した時のこと
2週間の自主隔離が明けるや否や
母の眠るお寺へとお参りに行き
その足で
お寺のある大阪から
次の滞在先の東京まで
約500㎞の道のりを
移動したのですが
その道中
「1」から「12」までが
2つ重なった数字
つまり
「11」から「1212」までの
数字のナンバープレートに
遭遇したのです。
お参り後はやはり
母が亡くなる直前のことなどが
いろいろと思い出され
気持ちが沈んでしまっていたものの
数字を目にしていく度に
母がいたずらしているような気がして
顔をくしゃくしゃにしながらも
思わず笑ってしまいました。

ぞろ目の日には
いつも記念に切符を買っていた母を思い出します
長い時間
道路を走っていたので
偶然が重なったのかもしれませんが
でもそれを
単なる偶然と片付けてしまうよりは
母が私を
笑顔にしようとしてくれたのだな
と思う方が
自分の心が豊かになるように感じます。
「真実」と呼ばれるものを
知ることよりも
その出来事を
前に進む力に変えられるように
自分にとって
都合良く解釈することの方が
時に
生きる上で大切なのではないか
と思います。

母と最後に行った旅行で、母が最後に撮ってくれた写真
そして命日の今日も
やはり子どもたちの前でも
泣いてしまいそうになるのを
必死に堪えていたのですが
ついに
我慢出来ずに
長女の前で泣いてしまいました。
学校を終えた子どもたちを
迎えに行き
家に戻って来て
「ついに金曜日だ...」
と今週も無事の乗り切れたことに
ほっとし
思わず
ビールに手を伸ばしそうになった時
「命日の今日くらいはお酒を控えよう」
と決めていたことを
思い出しました。
それというのも
母が亡くなった時に
かなり肝臓の状態が悪化していたことが
残されていた検査データから
伺えたからです。
「身体を大切にすること」
それは
母が残してくれたメッセージの
一つだと受け取っています。
冷蔵庫を開けたにも関わらず
ビールを取り出さず
その代わりに
「あ...」
という声を発した私に
すかさず長女が
「どうしたの?
仕事があるの?セミナー?」
と尋ねます。
それに対して答えようと
「今日ね
のんちゃん(母のあだ名)が...」
とそこまで口にした瞬間
ぼろぼろと涙が
零れて来てしまったのでした。
そんな私を
何も言わずにハグしたかと思えば
私に背を向けて
同じようにぼろぼろと涙を零す
長女を見ながら
失ったものもあるけれど
それでも
今この瞬間
目の前にあるものだってある
そのことに
改めて気付かされた気がしました。
「在る」のに
その存在に気付けないこと
その大切さを忘れてしまうことは
往々にしてあるけれど
失ったけれども
心の中にずっと在り続けてくれるもの
失っても
目の前に残されている大切なもの
そうしたものに目を向けていくことで
失ったことによる悲しみとも
うまく付き合っていけるように
なるのではないかと
感じました。
そうした訳で今日は
母が好きだったビールのプルタブに
指を掛けることも無く
母に感謝しながら
そして
世界中の人が
大切な人と
かけがえのない時間を過ごせることを
祈りながら
このまま一日を終えようと思います。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました!