大阪は連日、初夏の陽気です。
今日はこどもの日に天国へと旅立った義父との思い出を綴ります。
※以下、お父さんと書きます。よく病院や施設で「娘さん」と言われるほど打ち解けていました。
「こどもの日」にこの世から旅立つのがお父さんらしいのです(^^)
というのも。両家の初顔合わせの時から
とても気さくで、明るくて、部屋に響き渡るような声で「ワッハハー!!」と豪快に笑う方でした。
その日もユーモアたっぷりの笑いで、場を自然と和ませるお父さんに、一気にみんなの緊張がほぐれたんです。私もホッとして思わず大きな声で笑った記憶があります(*^^*)
まるで子どものようにピュアで楽しいムードメーカー。場がパッと華やぐのです。
明るく豪快なイメージのお父さん。その反面、常に周囲に細やかな心配りをされていました。
そして、何事にも決断が早かったのです。
忘れられないのは、あの3.11の日。
私は千葉・浦安で年少の息子とサッカー教室に行こうと家を出ようとしていました。
直後にあの大きな揺れが襲ってきて、物凄い轟音。部屋の引き戸が勝手に行ったり来たりするのを見て「もうダメだ!」と体が硬直しました。
揺れが収まって窓の外を見ると辺りは液状化し、水道管も破裂。水が地面に噴き出しています。ガスも停止。幸いなことに電気だけが使えました。
給水車に息子と2時間ほど並び、さて。どうしたものか‥と思っていました。
※その時、隣町からお水とおにぎりを急いで持ってきてくれたママ友は天使のようでした。
お父さんは昔からニュース番組をよく見ていて、空港へ向かう電車が動き出した途端、
「あやこさん、早く帰ってきなさい。」と電話をくれたのです。
ちょうど夫は海外出張、帰国は次の日。また2日後には海外。というスケジュール。
実家の両親は、せめて夫の帰りを待ってから戻っておいでと(^^;
そんな中、お父さんは全てを理解したかのように「あいつは大丈夫や。何とかしよる。もう、ええから。はよ帰っておいで。電車も飛行機も動いてるやろ。」とまたワハハ!と笑いながら言ってくれました。
息子のことを信頼し、実家の両親、私と孫のことに思いを寄せ、全部それぞれの気持ちを尊重しての電話だったと思います。
思いやりに溢れたあの大きな笑い声はすっと忘れられません。
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ここ数年は入退院や緊急搬送が幾度もありました。
そんな時もお世話になっている病院や施設の方への気遣いを常に忘れないお父さんでした。
「ありがとう。」「すまんなぁ。」といつもみんなに感謝していました。
感謝の気持ちを込めて、別れ際や退院時にみんなと握手をするお父さんが好きでした。
とてもあたたかい手でした。
家族のあり方、生き方を間近でみせてもらえた大きな存在です。
そのお父さんを支えてきたお母さんや家族、お世話になった方々への存在もまた大きくて‥
感謝の気持ちがこみ上げてきます。
ですが。介護って、こんなきれい事ばかりではありません。
必ずしも見たいものだけで成り立ってはいません。
時には、とてつもなく深いため息が出たり、やり場のない怒り(悲しみ)を感じることは、血が繋がっていても、いなくてもあります。
それでも。いまこんな風に思わせてくれるお父さんにはありがとうの気持ちしかありません。
最期までみんなのことを考え、大きく包んでくれていました。
今頃、みんなで集まってワイワイ楽しく食事してることでしょう。
きっと豪快に笑ってるだろうな。
