山を歩いていると、
問いは、無理に解こうとしなくても、
いつのまにか、ほどけていくことがある。
呼吸をして、足を運び、
ただ、そこに身を置く。
それだけで、
自分の内側に透明な静けさがひろがる。
2025年11月から12月にかけて、
私は、10数年ぶりにヒマラヤを歩いた。
若いころとは、まったく違う感覚で。
自分と向き合い、
問いを抱えたまま、歩くような時間だった。
今回のヒマラヤで感じたこと、
私の中でほどけていったものを、
連載として綴っていこうと思う。
【連載①】
ヒマラヤで、問いがほどけていく
―歩きながら、自分に還る旅―
ーー私は、ただ山が好きだった。
ヒマラヤに身を置き、
偉大なエネルギーに包まれ、
ただ崇高な山々を眺めながら、歩く日々。
ダウラギリ (標高 8167m)
かつての私は、
標高6000mを超える山頂を目指し、
登山に集中してヒマラヤと向き合っていた。
けれど今回は違った。
ある意味、とてもリラックスした状態で、
山々の表情を感じながら、
ゆったりと、ただ歩いていた。
それは、
自分と向き合うための時間でもあった。
ヒマラヤで、私はひとつの答えを受け取った。
私は、純粋に山が好きなのだ。
18歳
大学生になったとき、登山と出逢った。
きっかけは、ワンダーフォーゲル部への入部だった。入学したての私に、女子寮のひとつ上の先輩が、目を輝かせてこう話してくれた。
「いろんなところに行けるよ。
お山の上ではね、キッラキラのお星さまが
降り注ぐみたいに見えるんだよ。」
その言葉は、まっすぐに私の心を掴んだ。
気づけば私は山の世界に足を踏み入れていた。
それから今日まで、
私の人生には、いつも山があった。
大好きな雪山にて(北海道)
正直に言おう。
ここ最近、さまざまなことに挑戦する中で、
私の心に、時折浮かび上がってきていた疑問…
私は、本当に山が好きなのだろうか?
登山が、好きなのだろうか?
ただただ純粋に趣味として山に向き合っていたときは、思いもよらなかった問いだった。
自分でもよくわからなくなっていた…
アンナプルナサウス(標高 7219m)
けれど今回、
7000〜8000mを超える山々を眺めながら
ヒマラヤを歩いていたとき
その答えは、驚くほど静かに、
しかしはっきりと、私の中に降りてきた。
私は、本当に山が好きなんだ。
当たり前じゃないか!
そんな声が聞こえてきそうだ。
それでも、この答えが
魂の奥深くまでしっくりと根を下ろした感覚は、私にとって、何にも代えがたい喜びだった。
ヒマラヤを歩いているときの私は、
この上なく幸せで、
そんな自分自身が好きだった。
以前のヒマラヤでは、
山頂に立つことが目標だった。
若かりし頃…
今回は違った。
ヒマラヤで、
自分自身と向き合うことが目的だった。
もちろん、正直に言えば、
また山頂を目指したい!
という気持ちも芽生えている。
標高7000mを超えた先で、
自分はどんな状態になるのだろう。
どんな景色を、この目で見るのだろう。
そんなことに、想いを馳せながら、
私はヒマラヤを歩いていた。
――つづく






