みなさま

 

こんばんははな。

 

✳︎ 星のおと ✳︎ いちこ です。

 

初めての皆様もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

「人というものは

 川の流れの渦巻きのようなもので

 絶えず流れ、

 その流れの模様が

 私という形を作っている」

 

 

肉体は常に新しい細胞に生まれ変わり

肉体や記憶を維持したり、思い出したりと

思考を繰り返しますが

 

 

命、魂というのもは

形の中にとらわれる個体ではなく

形を含んだただの流れに過ぎません

 

 

手ですくい上げようとすれば

幻のように流れて消えてしまうし

その手には水滴という跡を残しますが

やがて消え、跡形もなくなるもの

 

 

今この瞬間にも

私たちの体の中では

細胞が生まれ続け、死に続けています

 

過去の楽しかった記憶

悲しかった記憶

それらは、一つの光の粒子で

その記憶を保存するために

脳は頭の中の本の紙を常に新しく作り直しています。

 

 

この命のサイクルについていくことができなくなることが「意識の老い」であり、

流れの停滞、淀みのことです。

 

 

私たちが何か不安や恐れを抱くと

ほとんどの人は思考や過去の記憶、主観的な幻想をもとに考察し、深く悩み

その不安や恐れを助長してしまいます。

 

 

しかし、

人は常に流れる川の渦のようなものですから

 

 

本来でしたら、その命のサイクル通りに

悩みがフッと頭の中に流れ込んできても

すぐに流れ去って行くのが本来の状態と言えます

 

 

その時、なかなか恐れや不安が流れていかないのは

自らの命のサイクルが「老い、停滞している」

というサインです。

 

 

 

私は現在

自分の原点に還ろうと思い

自己ヒーリング(霊氣)と自己観照を習慣としています。

 

 

 

先日の「大田植え」

の記事で少し書かせて頂きましたが、

 

農耕用の家畜だと思っていた牛が

食肉用だと知った時

自身の中にある矛盾や悲しみや怒りなどが露わになり
 
さらにそれを
強制的に「自分の思う正道」へ正そうとしているわたしがいることに気がつきました。
 
 
その瞬間に生まれた感情を
私は一旦流すことなく、とどめ、停滞させ
主観を使って考えていたのです。
 
しかし、すぐに
 
流れをせき止めてしまっていた蓋を外し
その感情をプラスへ変換しようとも
正論を導こうともせず
 
ただ、その感情に「気づいて」いました。
 
 
それが
「自己観照」です。
 
 
自己観照とは、
主観を外し 今起きていること、
感情を静かに観察すること
 
 
 
 

「自分で自分を、あたかも他人に接するような態度で外から冷静に観察してみる、ということです。

いいかえると、自分の心をいったん自分の外へ出して、

その出した心で自分自身を眺めてみるのです。」

 

 

 

自分の心を一ペん自分の身体から取り出して、外からもう一度自分というものを見直してみる。

これができる人には、自分というものが素直に私心なく理解できるわけである。

こういう人には、あやまちが非常に少ない。

自分にどれほどの力があるか、自分はどれほどのことができるか、自分の適性は何か、自分の欠点はどうしたところにあるのか、というようなことが、ごく自然に、何ものにもとらわれることなく見出されてくると思うからである。

 

(「人生心得帖」松下幸之助  1984年)

 

 

 

わたしはわたしの中の

「動物を虐げたり 食べたり 殺したりする行為に嫌悪している」

という感情に気がつきました。

 

しかしそれをポジティブに変換しようとしたり

自分の感情を正当化しようとはしません。

 

 

なぜなら

 

自分の幼さ、未熟さがありありと見え

心の中、頭の中にあった不安や恐れ、怒りという感情は

あっという間に流れ去ったからです。

 

 

このように

この自己観照を日常のあらゆる場面で習慣化し

頭ではなく魂で実践することができると

 

 

多くの方が抱いている

状況や環境から生まれるそれらの感情は

実は全くの幻想であり、虚無であったと気づくはずです。

 

 

上記で引用させていただいた言葉の松下幸之助さんもおっしゃっておりましたが、

 

 

お釈迦様も

「悟りを啓き、解脱するための最高の修行法は、

 自己観察である」

 

と、説かれています。

自己観照は自己分析や自己内観とは違います。

 

自己分析は今起きている物事から生まれた自身の状態や感情を紐解いて理解するもの

 

自己内観は紐解いた状態や感情を理解し

さらに、何がいけなかったのかを知ることです。

 

 

これは、人の成長のプロセスとして大切なことでもありますが

 

思考が行う行動であり

そこには主観があります

 

 

思考や主観を使い行う自己内観は自己分析は

やり過ぎると、上記に書きましたように

流れを停滞させ淀めてしまう、

その結果、命のサイクルから外れ

魂が(肉体)が老いるのです。

 

 

自分の感情を正道へ正そうとする行為は自己観照ではありません。

自己観照はそのような自身の存在にただ気づくことです。

 

 

 

自己観照をスムーズに行うために

良い方法として「自己ヒーリング」があります。

 

私は霊氣を使いながら行いますが

これを続けていくと、私という一つの渦巻きを

もう一つの私という渦巻きが

とても冷静に穏やかに見守っている

素晴らしい安心感を感じることができます。

 

 

自分では認識していなかった

負の感情や停滞させていたものが

ヒーリングによって浮かび上がり、

何にたいして気づく必要があるのかをすばやく知る方法でもあります。

 

※カルマやトラウマは自身でも気づいてない部分が多く、その場合ブロックを外すことに時間が必要になってしまいます。

ヒーリングはその速度を速めます。

 

 

 

先日書かかせていただいた物語

「星の電源が切れたとき」

は、

この意識の変化、自己観照への大きな気づきのきっかけとなりました。

 

もしご興味のある方には

ぜひ、読んでいただきたいと思っております*

 

 

 

自己観照に関しては

後日あらためて書かせていただこうと思いますので

よろしければまたご覧いただけると幸いですaya

 

 

それでは、本日もご訪問頂きまして

誠にありがとうございました。

 

かんながら たまちはえませ
かんながら たまちはえませ

(八百万の神さまの御心のままに

 お導きくださいお護りください。)