現在、アーティゾン美術館では、近年収集したばかりという、
エットレ・ソットサスのコレクションを初披露する展覧会が絶賛開催中ですが、
それと併せて同時開催されているのが、“瀧口修造 書くことと描くこと”。
昭和を代表する美術評論家・瀧口修造(1903-1979)の展覧会です。
実は、アーティゾン美術館は、ここ近年、
エットレ・ソットサスだけでなく、瀧口修造の作品も多く収蔵してきたそうで。
その総数は現時点で、計163点を数えます(他の作家との共同制作作品を含む)。
本展は、そんな瀧口コレクションが初めて一挙公開される貴重な機会です。
さて、本展の前半では、瀧口の「書くこと」にフォーカスが当てられています。
瀧口は慶応義塾大学在学中に、
当時フランスで流行していたシュルレアリスムを知り、
自身でもシュルレアリスム的な詩を作るようになりました。
さらに、その数年後には、アンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』を翻訳。
日本における初の本格的なシュルレアリスムの文献として、
日本の美術界や若き芸術家たちに大きな影響を与えました。
それによって、瀧口は日本におけるシュルレアリスムの権威という地位を確立。
美術批評家として名を馳せていくことになるのです。
会場では、その頃に瀧口が書いた詩や美術評論の数々が紹介されています。
さらに、アーティゾン美術館のコレクションの中から、
瀧口が美術評論を行ったことがある作家の作品をピックアップ。
瀧口の言葉と併せて紹介されています。
なお、こちらで紹介されている瀧口の評論は、
アーティゾン美術館の作品そのものに言及しているわけではないのですが。
こちらの岡鹿之助の《雪の発電所》に関しては・・・・・
まさにこの作品に言及した評論が紹介されています。
普通に観るよりも、瀧口の評を読んだ上で観たほうが、
不思議と作品の格(?)が上がったように感じられました。
瀧口の美術評論家としての才を改めて実感した次第です。
ちなみに。
美術評論家として数多くの功績を残した瀧口ですが、
中でも最も大きな功績といえるのが、タケミヤ画廊での仕事です。
タケミヤ画廊は、1951年から57年まで神田駿河台にあった伝説の画廊。
無名の若手芸術家を支援するべく、会場使用料無料で発表の場を提供しました。
その人選や企画の一切を担当したのが、瀧口。
新人に無償で会場を提供するならと、瀧口も無償を条件にオファーを引き受けたのだそう。
ここからデビューした作家のなかには、草間彌生さんや河原温、野見山暁治も。
大人の事情で撮影は不可でしたが、本展には、
同館のコレクションから、彼らの作品も出展されていました。
さてさて、本展の後半では、瀧口の「描くこと」にフォーカスが当てられています。
瀧口は60代の頃より、執筆を控えるように。
その代わりに、創作活動を本格的に開始しました。
本展ではその頃に描かれたドローイングや水彩の数々が紹介されています。
これは完全に個人的な好みの問題ですが、
正直に言って、瀧口の作品にはあまり惹かれませんでした。
この手の“誰でも描けるんじゃね?”的な作品は、
実物を前にすると、“やっぱり芸術家は違うなァ”と思わされるものですが。
瀧口に関しては、“誰でも描けるんじゃね?”としか思わなかったです(笑)
芸術的センスで描いたものというよりは、
頭のいい人が“こういう風に描くと芸術的になる”と、
理論的に描いているような印象を受けました。
それだけに。
瀧口のデカルコマニーの作品は、なんか良かったです。
デカルコマニーは、紙と紙の間に絵の具を挟んで押し当て、
偶然にできる模様を写し取るシュルレアリスムの絵画技法。
良くも悪くも、頭を使わず制作する作品のほうが、むしろ彼には合っていたような。











