「悲しいとき~ 誰かが死んだとき~
悲しいとき~ モーリス・ユトリロ展を観たとき~」
・・・と、ちょっと懐かしのお笑いネタで初めてみた今回は、
損保ジャパン東郷青児美術館で開催中の “モーリス・ユトリロ展 -パリを愛した孤独な画家-” をご紹介。
会期は、7月4日まで。
で、何が、そんなに悲しいのかって、
美術展で紹介されているユトリロのエピソードが、悲しすぎるのです。
皆様、ハンカチのご用意を。
モーリス・ユトリロ (1883~1955)
こちらの 《バイアン通り、パリ》 という作品や、
《ラパン・アジル、モンマルトル》 という作品のように、
パリの街並みを多く描いたフランスの画家です。
『パタリロ』 に名前は似ていますが、全然関係はありません。
さて、彼の母は、
画家でもあり、有名画家のモデルを務めたシュザンヌ・ヴァラドン。
1883年ボストン美術館Picture Fund, 37.375. Photograph ©2009 Museum of Fine Arts, Boston
ルノワールの 《ブージヴァルのダンス》 でモデルを務めたのも、ヴァラドンです。
この絵からも、何となく想像がつくように、かなり自由奔放な女性。
ユトリロの父は、誰だかわかっていないというのですから、その自由奔放さは測り知れません。
恋に、絵に。と、忙しいヴァラドン。
息子をかまっているヒマなどありません。
かくして、8歳になったユトリロ少年は、
寂しさから、ワインに溺れるようになるのです。
(よい子の皆はマネしないでね)
酒びたりな生活から、
“リトリロ” と呼ばれるユトリロ。
(そのこころは⇒1リットルもお酒を飲む)
とうとう21歳で、アル中に。
入院生活を余儀なくされます。
退院後、医師に薦められたのが、絵画でした。
気乗りしないまま始めたものの、あれよあれよと才能が開花したユトリロ。
これで、アル中人生とおさらば・・・かと思えば、そうはなりませんでした。
ここから昼ドラ並の衝撃の人生が待ち構えているのです。
未だ自由奔放な母・ヴァラドンが、アンドレ・ユッテルという男と恋に落ち、
当時の夫と別れて、このアンドレ・ユッテルとユトリロとの生活を始めます。
実は、このアンドレ・ユッテルという男は、何とユトリロの3コ下の友人。
つまり、ユトリロは、自分より3コ下の友人が、いきなり義理の父になったわけです。
こんな最悪なことはないでしょう。
しかし、これはまだ序章にしか過ぎません。
相変わらず、アル中の治療のため、
絵の制作を続けていたユトリロ。
いつしか絵が売れるようになっていました。
これに目を付けたのが、母のヴァラドンと継父のユッテル。
あろうことか、ユトリロを鉄格子のある部屋に閉じ込め、
絵はがきを元に、パリの風景画を描かせては、その売れたお金で豪遊していたのです。
ユトリロに与えられるのは、安いワインだけ。
その境遇から、 “貨幣製造機” とまで言われる始末。
何とも悲しすぎます (泣)
ちなみに、そんな生活がずーっと続き、
ユトリロは、51歳でようやく結婚をします。
これで自由になれたかと思いきや、
妻となったリュシーも、またユトリロに死ぬまで絵を描かせ続けたと言います。
死ぬまで、“貨幣製造機” だったユトリロ。
こんなにも悲しすぎる人生は、そうないのではないでしょうか。
何か途中で 『パタリロ』 に似てるとか茶化してしまって、反省です。
このエピソードを紹介されてから、ユトリロの絵を観ますと・・・
《カルボネルの家、トゥルネル河岸》
《サクレ=クール寺院、モンマルトル》
どれも悲しい気持ちになってきます。
それから、この世界に入りたくなるような感覚にも陥ります。
「外に出たい・・・」 というユトリロの想いが、そうさせる気がします。
今展示されている90点強のユトリロ作品は、
すべて日本初公開という貴重な美術展ではあったのですが。
ここまで紹介した作品以外でも、
《サン=ローラン教会、ロッシュ(アンドル=エ=ロワール県》 や、
《サン=ドミニク通りとエッフェル塔》
・・・などなど。
同じようなテイストの作品が続くので、それも悲しくなりました (笑)
ユトリロの作品は、2、3点あれば、それでいいです。
まとめてたくさん観るモノではない気がします。
![]()






