#4 【????】 で紐解く 東洲斎写楽 (中編) | アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】

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(前編) からの続き―


“東洲斎写楽は、江戸時代の【DJ OZMA】ような存在だった!”

これを暫定的に「写楽=【DJ OZMA】説」と名付けておきましょう。
写楽の謎についての研究史に、新たにどうでもいい1ページが加わりました(笑)

さて、早速、説を展開する前に、

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】-DJ OZMA


【DJ OZMA】について、簡単に紹介しておきましょう。
生年・出身地は不詳。そして、本名は尾妻野純直(おずまのただみち) 。
(ただし、日本では“尾妻野”という苗字は確認されていない)
金髪のアフロヘアーに、大きめのサングラス姿というのがトレードマークです。
彼は、2006年3月22日に、こちらの曲↓




「アゲ♂アゲ♂EVERY☆騎士」で、鮮烈なデビュー。
そして、その翌々週には『ミュージックステーションSPECIAL』にて、テレビ初登場を果たしました。
いきなりCDデビューし、なおかつMステのスペシャルでテレビデビュー。
とても無名の新人とは思えない、デビューっぷりです。
普通のアーティストなら、こんなことは、ほぼあり得ないでしょう。

実は、写楽のデビューも、まさにこれと同じような感じ。
無名の新人ながら、いきなり、

アートテラー・とに~の【ここにしかない美術室】-嵐竜蔵の金貸石部金吉


こちらの 《嵐竜蔵の金貸石部金吉》を含む、

28点の大判錦絵(よく目にする浮世絵)で、デビューを果たします。

これも、実は、ほぼありえないこと。
というのも、浮世絵師は、まずは小説本の表紙絵や挿絵など、

細々とした仕事から始めるのが当たり前でした。
いきなり大判錦絵デビューするというのは、何とも異例の事態なのです。
何で、無名の写楽がそんな扱いを受けることが出来たのでしょうか??

さぁ、そこで、「写楽=【DJ OZMA】説」の登場です。
何だか【DJ OZMA】の設定に疲れてきたので、
本当のことを言ってしまってもいいですか(笑)??
【DJ OZMA】の正体は、




氣志団のボーカル・綾小路翔です。
↑皆が知っていることでしょうが、あえて言っちゃいました(笑)
そうなんです。
無名の【DJ OZMA】が、あのような鮮烈なデビューを飾れたのには、
ちゃんと綾小路翔としてのバックグラウンドがあったからというわけです。

今の音楽界と、昔の浮世絵界。
きっと、そこにはそう大差はないはず。
ならば、やはり東洲斎写楽があんなに大々的なデビューを飾れたのは、
ちゃんと名が通った作家としてのバックグラウンドがあったから、と考えた方が自然な気がします。


しかも、この 「写楽=【DJ OZMA】説」 ならば、

前編でも触れた『写楽別人説』への2つの反論

 ①なぜ、商売人である蔦屋重三郎が、大物作家である写楽の正体を隠す必要があったのか?
 ②同時代の人間が、写楽の正体について、一切記述を残していないのか?

に対しても、答えることが出来ます。

【DJ OZMA】は、本当は綾小路翔なんだよ」という情報は、

あえて公式に発表せずとも、すぐにわかる事実。
(公式では、よく似た別人ということになっています)
すぐにわかる事実は、黙っていても口コミで広がるわけですから、
いちいち余計な情報を流さない方が、
かえって広告的にも、キャラクター作りにも効果的というわけです。
時代を読む能力に長けた蔦屋重三郎が、
これと同じ方法を取ったということは、想像に難くありません。
あえて、公式には写楽の存在を隠すことで、
江戸の庶民たちに口コミで広めるよう煽ったのではないでしょうか。

さらに。②の反論に対しては…

【DJ OZMA】は、本当は綾小路翔なんですよ」
正直、こんな自明のことをblogで書くのは、何かイヤでした(笑)
何と言うか、野暮ですよね。
皆が、暗黙の了解で守っているようなものを、
blogのような文書として残るもので、発表するだなんて。

現代に生きる僕ですら、そうなのですから、
粋にこだわる江戸っ子たちは、輪をかけて、
「写楽は、本当は○○なんですよ」と文書でバラすような野暮なことはしなかったはず。
だからこそ、写楽の正体は一切記述に残っていないのでしょう。

おー、単なる思い付きだった 「写楽=【DJ OZMA】説」が、
ちょっとずつではありますが、何となく信憑性のある説になってきました(笑)!

この調子でいけば他の写楽の謎に対しても、答えが出せる…かも。



それは、また次回に→