前世でよほど良いことをしてきたのかどうかは知らないが、生まれてからこの方、人の縁には大変恵まれている。
特に「師」と呼べる人にはその都度最高と呼べる人に出会えていて、40歳を超えた今もそういう人たちに出会い続けて、多くのことを教えてもらっている。
最近は僕も他人様に教えさせて頂く機会が多くなってきて、「良い教師とは何なのか?」とつい考えてしまう。
ソクラテスに曰く「良き師とは、何かを教える者ではなく、弟子をして自分自身に出会わしむる者である」
僕が出会ってきた「師」と呼べる人は、もちろん新しい知識を教えたりもしてくれたが、何よりも体験と気付きを与えてくれた人たちだった。
教える立場になってわかるのだが、知識を与えるのはとても容易なことであるし、知的な優越感があるのでやってて気持ちがイイ。
反対に体験を通してそこから気付いてもらうことは、すごく忍耐と根気の要ることである。なかなか出来ない相手にイライラして、つい「正解」を教えたくなってしまう。
でもそんなことすれば自分はスッキリするかもしれないが、相手から気付く喜びを奪ってしまう。
教えてもらった知識と自分で見つけた気付き、どちらが人生で役に立つかといえば言うまでもないだろう。
大切なことなので二回言う。相手に気付いてもらうには、我慢しなければならない。
相手が気付きを得るのは、その人に会わなくなってからのことすらある。気付きを得たことに、気付いてもらえないことすらある。むしろそういうことの方が多いのではないだろうか?
10年前に師事していた人の音源を久しぶりに聞いてみた。
「なるほど、そういうことだったのか!」と目からウロコが取れるような思いだった。
当時はわかったような気がして、先生に対してまったく的外れなことを言ってしまっていた。
先生は内心何を思っていたかわからないが、笑って聞いてくれた。
今思うと「あ〝~~~」と頭抱えて部屋の中をのたうちまわりたい気分である。
僕は良き師となれるだろうか?
それはわからないが、せめて出来得る限り、「出来ない相手」「答をなかなか見つけられない相手」を受け入れ認めていこうと思う。
それが師に対する一番の恩返しだと思うから。