パラオの知って欲しいこと | Spring Breeeeze~♪

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また万博ネタですニコニコ

が、そこから知ってほしーことへキョロキョロ

 

 

 

予約がなくてもわりとサクッと入れる、コモンズ館

こちらはA館~F館まであります。

それぞれの館に複数の国のブースが入っていて、館によっては何十カ国かのブースが入っている館もあります。

 

その中で特筆しておきたかったのに、ずっと忘れていた館をここに残しておきたくて。

パラオです。

 

南国、アフリカの国々、小さな島国小国等、どの国のブースも小さいながらもお国の特色をパネルに展示したり、民芸品の展示があったり。

触ったり聞いたり、時には試食をさせていただけたり。

 

そんな中で、パラオは特別目玉になる派手な展示はなく決して目立つブースではなかったけれど、私的にはとても目を引いたのでした。

(ちなみに私が訪れたのは、5月ですのでその後変わったかもしれませんが)

 

パラオはフィリピンの東、最西にある国です。

 

パラオといえばとても日本と関係が深いことで、知る人ぞ知るなんですけどいかがですか?

戦争時代の話で聞いたことも多いのではと思います。

 

民芸品やお国の観光紹介の他に、日本との大切な友好関係をしっかり展示してくれていました。

日本・パラオ友好橋

多分写真の中までほとんどの方が読まないと思いますので、ここに書き出しますね。

 

元はコロール・バベルダオブ橋(KB橋)として知られ、1977年に建設されました。

1996年に突然橋が崩落し、日本政府の支援により、2002年に新たに日本・パラオ友好の橋が建設されました。

 

ちょっと私が追記しますとですね、KB橋は日本ではなく韓国が請け負って作った橋なんです。

しかも謎に建設業者入札時、韓国の建設業者が、日本の建設業者が提示した半額で入札したといういきさつがあります。

 

で、年数を見ていただくとおわかりの通り、結構すぐに落橋しちゃってますよね・・・・

その後、ほぼ同じ位置にパネルで見られる立派な橋を、日本の政府開発援助資金(ODA)によって無償で橋を再建、これを実際請け負ったのは・・・・

入札できなかった日本の企業、鹿島建設キラキラ

 

というエピソードがありますおねがい乙女のトキメキ

 

KB橋、崩落時、友好の橋のもっと見やすい画像、そう言ったお写真はウィキセンセーとこにあります爆  笑

 

 

 

こちらはパラオの学校の写真↑

パネルの説明文は以下の通り

 

コロール公学校

日本の統治時代、各州にパラオの子供達のための公学校が建てられ、日本語教育が行われました。

南洋群島文化協会 1938年「南洋群島写真帖」

 

戦争時に日本とパラオが何かしらの関わりがあったと言うことは知ってる人も多いけれど、具体的にどんなことをどんな風に、その関係は良好だったのか否か、ご存じない方も多いと思うので、ちょっと説明させて下さいね、大切なことだから。

 

大東亜戦争(1937年《昭和12年》~1945年《昭和20年》)、先日まで放送のあさドラ、「あんパン」をご覧になった皆様は記憶にまだ新しい、あのやないたかしさんの戦場シーン、まさにあの時代ですよね。

 

その時代、大東亜戦争末期、日本のある部隊はパラオの島に進駐し、陣地が造られました。

島の人々は日本人と共に、その作業に参加しました。

現地の人達は日本人と仲良くなりました。

 

やがて戦況は傾いて行ったことは史実の通り。

「あんぱん」では中国、満州が舞台でしたけれど、アジア全体が巻き込まれていった戦争でした。

 

すると、島民達同士が話し合い、立ち上がり、日本兵軍の守備隊長へ申し出ました。

「私達も(日本兵と一緒に米軍と)戦わせてほしい」と。

 

すると隊長は激高し、「誇り高き帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に(米軍と)戦えるか!!」

 

島民はショックを受けました。

「日本軍は、私たちと仲間だと思っていたのに・・・・」

裏切られた思いで悔し涙を流します。

 

島民は島からの退去を命じられました。

退去の日、一緒に汗水流して働いた日本軍人は誰1人見送りに来ません。

若者達は悄然と船に乗り込み出発します。

汽笛が鳴り、出発

 

船が島を離れたその時、日本兵全員が浜に走り出てきて、一緒に覚えた日本の歌を歌って手を振って彼らを見送りました。

もちろん、激高したあの隊長も、笑顔で、一緒に。

 

その時島民は皆涙して理解します。

日本軍は、島民達を巻き込まないために隊長が配慮してくれたのだと言うことを。

 

翌日戦いは始まりました。

すぐに決着がつくと踏んでいた米軍に対し、日本軍は73日間、米軍上陸を阻止。

しかし最後は圧倒的兵力の差により日本軍守備隊玉砕

 

島に戻った島民は、かつて一緒に汗を流して陣営を組んだ同志である日本兵たちの惨状を見、泣きながら日本兵1人1人を丁寧に弔ってくれました。

パラオにはペリリュー神社が建てられています。

ちゃんと日本の神社と同じく、鳥居があります。

今も日本兵の皆さんを、英霊として祀って下さっています。

 

そしてこれは有名な話ですが、パラオがアメリカから独立する際、国旗を日本の日の丸とおなじデザインに制定しました。

オリンピックなどで、よく説明されたりしますよね。

 

島の長老達は皆、ずっと日本のことをこう呼んでいたそうです。

「内地」と。

 

 

 

高校の歴史の先生、恩師が作った動画

感動の涙が流したくなったら、どうぞ観て下さい爆  笑

ハンカチ・ティッシュ用意してからねウインク

 

内容は、ブログに書いたとおりのストーリーですが、「この動画見てね」だときっと面倒くさくて見ない人が多いかと思い、文字にだいたい起こしてみました(読むのもめんどくさいわってか?)

 

 

今、アメリカ(特に島、ハワイなど)やアジアの国々にある戦争関連の記念博物館における日本の展示・説明が、某国のお金で日本にとても不利に、どころか真っ赤な嘘に、書き換えられているところが多いのです。

 

そして日本のマスメディアも今更、戦争時代の日本の犯した大罪、みたいな表現・発言を、これまでのドキュメンタリーやワイドショー等に留まらず、もっと皆が入り込みやすい「ドラマ」にもりこんで発信することが多くなってきてます。

 

戦争当時、一個人に着目すればもちろん日本人といえど酷い人もいたでしょうからね、そんな人の行動が語り継がれていってる地域もなきにしもあらずだと思いますけれども。

 

本来の日本人、日本という国は、自分だけが良ければ、損得だけで物事を考える、そんな精神を良しとする民族ではなかったこと、私達はしっかり知って受け継いでいかないといかないですよねー。

 

 

 

もし今から大阪関西万博に行かれる人がいたら、コモンズA館は予約なしで、並んでいたらそれでも比較的スムーズに入れるところです。

そこで、小さな小さなパラオのブース、ちょっとだけ立ち止まってパネルをみていただけたらと思います←私は関係者かっっ?・・・(ちがうよ~あせる

 

もちろん、日本との信頼の深い絆を持っている意外な国は、ポーランドやウズベキスタン、他様々あります。

ご興味あれば、色々検索してみてね←いや絶対しないよね笑い泣き笑い泣き

(動画を見てもらえたら良きかな、と)

 

 

 

 

 

読んで下さってありがとうございます~お願いキラキラニコニコラブラブ

 

 

 

 

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