さて、若一神社にもどりますよ~
こじんまりな神社ですが~
手水舎
桜井識子さんの本で出てきましたね、とても気さくなお稲荷さん^^
こちら若一神社が平清盛公と深い縁がある謂れは~
そもそも清盛公が御祭神である若一王子(にゃくいちおうじ)を熊野から勧請したとかではなく、清盛公の時代よりはるか昔の奈良時代、唐の国より威光上人という高僧が渡ってこられ、ある時紀州熊野(奈良県)に詣でられた時に「迷い苦しむ人々を救いたい」と、熊野から御分霊の若一王子のご神体を背中に背負って来られ、ある時この地の森の中の古堂で一夜を明かした。
するとその夜御神体が、「この地に祀りなさい~」と言ったことからそれに従い、この地に鎮座されることになったのです。
それが772年といわれています。
その後、天変地異により若一王子の御神体は土中に埋まってしまったようで、お堂も荒廃してなくなっていったのでしょう。
1166年、清盛公熊野詣の折に「(清盛公の別邸である西八条第の)土中に隠れたる御神体 世に出し奉斎せよ」とのお告げがあり、詣でから帰ってきて急ぎ掘り起こしたところ、本当に若一王子のご神体が出てきたので清盛公は西八条第にしっかり御祀りしました。
するとまもなく「太政大臣」に任命されることとなったのです~。
鳥居を潜って左に先ほどご紹介したお稲荷様がいらっしゃるのですが、もっと手前右の手水舎よりも手前に、平相国清盛公の像が![]()
武家の装束ではなく朝廷・公家の正装である束帯姿なのが珍しいそうです。
(相国、というのは位名で武家ではとても高い地位です~)
奥へ数メートル歩いた左手が
本殿
本殿の中にあるご神体であるご神鏡の前にある
「前立て鏡」、ピッカピカです![]()
ところでこの西八条第と呼ばれる清盛公の別邸は、現在の梅小路公園からJR東海道線と山陰線の線路敷地付近に及ぶすごーく広大な土地だったーとのことですが、土地勘がないと分からないですよねぇ?
約48000坪あった、そうですけど・・・分かります?
東京ドーム約3つ分(強)、甲子園4つ分くらいですって。
京の都の中のそんなにも大きな土地が、平家の土地だったのは驚きです。
天皇をはじめ朝廷側が平家の財政をあてにしていたのも頷けます。
これだけの勢力と財政力を生み出せたのは、やはり「海」を支配して外国との貿易を推し進めたことが大きいと思います。
日本は島国と言う事で今でも海軍の強さは諸外国も脅威に思っていますが、その創始は清盛公にあるんじゃないかと私は思ってます。
さてさて
近年あちこち美しく改修された境内、社務所もきれいで美しいです。
様々なお守りがあります
境内にも古くからそこにいるのであろう御神木が
でもこれは座敷わらしがいる木ではありません
私が社務所で御朱印をお願いしたり、是非いただきたいと思っていた清盛公のお姿をしたお守りをいただいていたとき、こちらの宮司さん「中村宮司」さんが清盛公やこちらの神社について、色々お話してくれました。
私もダンナ様も清盛公の話はとても興味がありますし、すでに知っていた事もたくさんあったりでお話が楽しくなってきましてね。
すると、中村宮司さんが、「ちょっと上に上がっていきなさい。写真とかいろんなものがあるから、見て行きなさい」とおっしゃって下さって![]()
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私達を社務所の中?に入れていただき、応接室のようなところに通して下さりました。
ここから上がらせてもらってー
↑ここに通してもらいました。
清盛公や平家の栄華の話に始まり、NHK大河ドラマの「平清盛」のキャストが訪れてお詣りされたエピソード、いろんな資料や大河「平家物語」に関する刊行物、写真、さまざまなことを見せていただいたり聞かせてもらえてとても楽しい時間を過ごしました![]()
お忙しい中村宮司さん、来客の予定もあったようですのにその時間を押してまで、私達夫婦にいろんなものを見せてくれて教えてくれたのでした。
本当に本当にありたがい時間でした![]()
そのお話の中でちょっと特筆しておきたい印象的な話があるので、それは次のお話へと続けさせていただきます~![]()
読んで下さってありがとうございます~![]()
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