長崎協会での非核非戦定例法要に参加させていただきました。
非核非戦 と言い続ける意味
数年前より周辺国からの攻撃や、近しくしている国を攻撃するために日本も標的にされるかもしれないという不安のためでしょうか、政治がどんどん右の方へ傾いている気がします。
中道右派ではなく、完全な右です。
理屈としては、備えあれば憂いなし。
戦うことを想定して武器を準備する。
絆を強くするため、いざという時に協力してもらうために、武器を売っておく。
このような感じ?
自分にとって都合の良いことは正しいのか?
私個人としては、ミサイルなどを撃ってきたら、そのまま発射国へUターンさせるシステムや、日本列島を囲む電波のような見えないシールドがあればいいなぁと思います。
そもそも戦争をしたら損なのです。
お偉いさんが戦争を決めて、戦場に出るのは若者。
残された年寄りや子どもは、攻撃目標にされるか、病気・怪我で死ぬか、餓死。
残されるのは、がれきと屍と得体のしれない化学物質。
未来永劫汚染される土地。
どこぞ合衆国、どこぞの連邦国、どこぞの共和国トップの陣取り合戦、いじめ合いに加担したくはない。
ばかばかしい。
だから、武器で備えるのです!
と言われそうですが。
だから、せめて僧侶は、政治がどのようになろうとも、
非核非戦と言い続けなければなりません。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
