現実は幻覚 | 全てはシンプル

全てはシンプル

世の中の人たちが死ぬまで経験しない超壮絶人生、父親の虐待、母親は毒親、元旦那に1億の借金を被せられ、元オットは生活費入れなかった元DVモラハラ。娘とゲイの息子、脳性麻痺の中2とわんぱくな中1の孫。生き方、考え方、生活、食、全てミニマルな人生のミニマリスト


今日も遊びに来てくださってありがとうございまぁ~すカナヘイうさぎ

お手数お掛けしますがよろしく哀愁無気力ピスケ


今日は近所のグルテンフリーのお店へ偵察。
報告はまた後日。


スピドクター主催の嵐山ツアーで出会った女子3人。
とにかく不思議な出会いで3人ともこのために京都に来たんだと納得した出会いでした。

で、私の隣に座ってた彼女に私が「過去(過去世)絶対会ってる」とあまりにもしつこくうるさかったので彼女がアカシックレコードを見てくれた。


昨日楽しかったー。
あやちゃんありがとう。
最後の食事で心ほぐれたわ。
あのために行ったんだなー。

アカシックであやちゃんと私の関係がわかった。
むかしチベットの僧侶だった話。
あやちゃんが6~8歳、私17歳前後。
二人男性。
チベットの密教寺院で学んでいた時。
仲が良くあやちゃんに非常に慕われていて、私も微笑ましく目をかけていた。
お互い兄弟のように大切に思っていた。
別れは、私が正式な僧侶として他の寺院に入いることがきまり、それが遠方。
山の奥深く。
胸の温かく、詰まるほど切ないような別れだった。
僧侶はその寺院でそれぞれの人生を過ごすことになるためこれが最後のこの過去生での別れ。
また会えることを切に願っていた。
だから、会えたこと嬉しかったんだよね。
もうこのアカシック見えて涙止まらん。
あやちゃんの潜在意識が先に思い出してくれた。ありがとうありがとう。
本当に信頼関係厚かったんだよ。
深い絆があいだにあったんだ。
ここまで来世に出会うことを約束というか切望してた過去世は無くて、しかもあやちゃんの昨日の瞳が綺麗なんだよ!うつくしい。
あんな眼差しは今の人間には出来ない。
実に懐かしいね。
おたがいに大切に思い合っていたからね。
幸な過去世をともに過ごしたね。
その後の唐の時代は真逆にあるからそれをふまえての時間を過ごしたんだろうな。
一緒にアカシック見るのって楽しくて幸せで通常の感覚にないそれ以上の幸福に満たされてた。
それにいち早く気がついたあやちゃん凄いよね。
素通りしてたかもしんないのに。
めっちゃたましいよろこんどる。
お互い5~6次元だからこのタイミングで出会うっていうサイコーのシチュエーション。

このLINEもらった時、めっちゃ泣いたーえーん
しかも、めちゃ褒められてるし😳

私は自分の過去世の中で僧侶をやっていて大勢の人の前で説法をしていた記憶はあるけどその中で彼女と出会っていたんだ。

彼女は現実には有り得ないことをフツーに話すし何より生活スタイルが世間一般とはかけ離れており、枠がないためフツーの人からしたら「へんな人」になってしまうのだろうけど「こんなふうに生きたい」という私の希望が目に見えるサンプルとして登場してくれたので「こう生きていいんだ!」「生きれるんだ!」と改めて確信した。


ブログにもこれまで書いてきてるけど、
本来は今ある現実がまぼろし。
幻覚と言うか、蜃気楼みたいなもん。

でも私たちは見えて今、生きている現実が全てだと思うからね。

それもそう信じ込んでしまうようにさせられてるだけ。

そーしなきゃめいっぱいココで生きられないもん。
つまり、ココに来た意味がなくなっちゃうんだよ。

これも腐るほど書き続けてきてるけどうちらのホントの実家はあちらの世界。

地球はディズニーランドみたいなもん。

遊びに来てるだけだから永久には居られないし永住もできない。

期間限定。

ホントは生きるのに枠はいらない。
てか、枠はない。
元々私たちはそーゆーものなんだから。 

それを勝手に制限かけてるのは自分。

枠というのは自分の常識とか、世の中の常識とか、人の目とかね。

とにかくさ、ココに居るあいだはめいっぱい愉しもう。

愉しいことも辛いことも苦しいこともしょせん全部まぼろし。

自分の元にやってきたものは選り好みせず、恐れず全て受け入れて愉しい方に意識を向けて愉しく愉しく生きてゆこうねーウインク

今あるのものに目を向けて、それにたくさんの感謝をしようハート


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