おはようございます🌞
いつかの朝。
ひばあちゃんの山仕事に娘がついて行った時の一枚。
年の差は約90歳。
約一世紀分。(笑)
ひばあちゃんが言いました。
「私らぁはどんどん忘れて行って、出来んことが増えていくのに、この子は日に日に色んなことを覚えて大きくなっていくねぇ。」
胸に響きますね。
人は、生まれた瞬間から死に向かって生きていきます。
しかし、それは、
死ぬために生きるではなく
限られた時間をどのように生きるかだと思います。
私は心やスピリチュアルを扱う仕事をしているので、
時折、お亡くなりになられた方のエネルギーを辿ることがあります。(稀に、です)
残された側は、後悔や懺悔の想いに胸をいっぱいにされているかもしれませんが、
亡くなられた側は、意外にあっさりしています。(笑)
何より、残された側のそういった想いに心を痛めているのです。
少し前に、お客様に
「認知症の母が今どのように思っているのか、もし分かるなら教えてもらいたい」
と、言われ、やったことなかったのですが
「やってみよう」と思い、やってみました。
勿論、お客様には、
初めてやるので出来るか分からないことを告げて、理解いただいてから行いました。
お母様の想念に入っていくと
そこには、
ミシンで楽しそうに何かを作っている映像が出てきました。
お客様にお伝えすると、「母はミシンで縫い物をするのがプロみたいに上手で好きだったんです。」と、驚いたように言われました。
次に見えたのは、
田んぼのあぜ道のような場所を話しながら、これまた穏やかな表情で歩いている姿。
お客様は、「まだ、母が患う前一緒に散歩していたんです。」と少し涙を浮かべながらおっしゃって下さいました。
「母は、それなりに苦労をしていたのですが・・・。今はどんな気持ちでいるのでしょう?」
と、聞かれたので
お母様に聞いてみました。
繰り返し、ミシンと散歩の映像が見え、
「考えても仕方ない」「何とかなる」
といった言葉が浮かんできたので、そのままお伝えしました。
「あははっ。母がよく私に言っていた言葉です。そうか・・・うん、そうか・・・。」
と、お客様は優しい笑顔を浮かべながら頷かれておいででした。
私が読み取るぶんでは、
辛い、苦しい
といった感情は見受けられませんでした。
お母様は、今もお母様のまま、生きているのでしょうね。
見えている姿は、側面にしか過ぎません。
認知症で、何も分からなくなってる
のではないと私は思います。
人生を反芻していたり、何か忘れたくて自分の中に閉じこもってしまったり。
言葉や行動は、見えている側面。
相手を想ったり
それまで、その方と築いてきた関係を冷静に俯瞰で見れば
言葉が交わせなくとも分かることは沢山あるのではないでしょうか。

