おはようございます♫ぜっきーです。
ここ最近ずっと
ノートをたっぷり綴る日が続いています。
自分から出てきたものを
全部ノートに書く、という行為が
たまらなく至福すぎて
それにハマっています。
思考がめっちゃ過敏になってた時代の私って
時間を持て余すこと
待つことが、
ほんとーーーーーに死ぬほど嫌いで
いつもセカセカしていて
次!次!って意識がぶっ飛んでて
なんか、時間つぶせるものを
持ち歩かないと
そわそわして落ち着かなかった。
(そのための本、でした)
それが気づいたら
すーーーーっかり無くなってました。
毎週の家族の病院の付き添いで
抗がん剤投与の時間
私はひたすら待機なわけですが
その間の2時間とか3時間が
むしろ、足りないと思えるくらい(笑)。
逆に「わ!もう治療終わったの!?」って
慌てて片付ける、みたいなことが
多々あります。
それは
見えない豊かさを
「文字」というツールを使って
ノートに形として、
綴るようになってから。
先日の金沢も
朝イチで実家に戻る予定が
母が大好きなへしことフグの卵巣付が
駅ビルで買えることを知り
急遽、新幹線を変更して
駅ビルオープンまで待機することにしました。
ブログ書いて
あとはずっとノートタイム。
もともと書くことが大好きだった私ですが
ますます、好きになりました。
この
「自分から出てきたものを
全部ノートに書く」という行為は
自分の中の
入ったことのない場所に
グッと潜り込む
深く、沈み込む感覚があります。
目に見える場所からさらに奥深く。
そこに行くまでに
狭くて暗い道を
一瞬通る必要があるから
入るまでは、いつも怖い。
だけどその道を通り抜けたら
深海のような深い闇だけではなく
より深みを増した
彩り鮮やかな世界がある。
そこだけでしか感じられない
「わたし」の本音がある。
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私はなぜか、深海がとっても苦手で
子供の頃から怖くて仕方なくて。
図鑑でも、映像でも、暗くて深い「青」が怖い。
光の届かない「青」が。
感じたことのない恐怖を感じるから、怖いのだ。
今でも水族館の深海コーナーは
脳みその奥底をザリザリ攫うような
知らない感覚が立ち上ってきて
背筋が凍るほど
ざわつきと震えが止まらなくなるほど、怖い。
怖いのだ。
あの道を通り抜ける時は
「これ」と同じ感覚がする。
この先に行ってしまったら
二度と元に戻れないような
そんな錯覚すら覚える。
だから自分をどこまでも見ることって
深く自分に潜り込むことって
怖さと凄みを、いつでも感じるものなんだ。
グッと手を伸ばして
自分の本音に触れる時
現れるのは
暖かく、柔らかなものだけではない。
トゲトゲしく
指に刺さるものもある。
毒々しくてグロテスクなものもある。
ギトギトしてうんざりするものも、ある。
でもそれら全て含めて
「わたし」から生まれ出たものは
尊い、のただひとことだ。
私たちは知識や知恵を求める生き物だ。
それは「もっとよりよいもの」になるために。
「何者か」になるために。
「今ではない、理想の私」になるために。
だけど
叡智とは
「いつでも本当の自分、本質の自分であり続けるために」使うものなのだ。
本当の自分
本質の自分の視点から
「私」という存在を眺めた時
世界を眺めた時
そこには
見えるものはもちろん
見えない豊かさが
溢れんばかりに満ち満ちている。
自分だけで、世界は完結できる。
自分だけで、幸せになれる。
この身ひとつで、豊かさは味わえる。
今が完全。
今が完璧。
今が最高。
だから、好きに自由になんでも取りに行ける。

