こんばんは♫
昨日の続きです。
それってつまりは
「手間をかけたくない」んです。
手間を惜しむの。
自分で実践して、体感して、感じることのすごさに気づいていない。
いや、そもそも体感していないから、知らないんだ。
そのすごさ、その素晴らしさに。
自分でやることは飛ばしてなんとかしたい。
実践しないでもどうにか今わかりたい。
早く!早く!早く!変わりたい。
結果を得たい!!
「答えだけ知りたい」
「核心だけ知りたい」
そのがめつさに気づいた方がいい。
そのやましさをきちんと見た方がいい。
答えみたいなもの、核心みたいなものだけ捉えて
うわべだけさらって
「本質はみんな同じですよね」とか言葉が滑るんだよ。
大事なのは
そこに至るまでのプロセスだよ。
それが、ひとりひとりこの肉体を持って生まれた真意だと思う。
自分をまっすぐ見るようになって
自分のおかしなところにも気づくようになったし
同時に
自分が今、この肉で味わっていること
体験していることにも
すごく意識が向くようになりました。
ああ、私は今これを体験しているんだな、という認識。
それが深まればば深まるほど
自分に疑いをかけられる。
「あれ?じゃあなんでこうなっていないんだろう?」
「なんで望んだ通りになっていないんだろう?」
その視点の気づきは
思考のストーリーにどっぷり浸かっていて
振り回されまくって
その対処だけ延々繰り返してる人は永遠に気づかないのだ。
それでいて知識だけが上滑りする。
「これ、知ってる」とか「そうだよね」とか
思考だけが動いて勝手にまとめようとする。
何もわかっていない。
何も知らない、と認めることだ。
知識だけはあって、自分は何もわかっていない。
その絶望って、自分への最大級の愛だと思う。
だって「今ここ」からしか全ては始まっていかないから。
-----
自分をまっすぐ見る、って
どういうことですか?と
最近よく聞かれるんですが
「事実をまっすぐ見る」ことです。
自分の事実。
今、目の前にある事実。
解釈を入れず
誤魔化さず
茶化さず
曲げたりせず
まっすぐに見る。
でも、だけどとかいらない。
理由もいらない。
「私は今こうだけど、それには理由があって…」
とか、そういうのを入れない。
「今、こうである」以上!!なんだ。
そこに勝手につながったストーリーは全部思考のデータだから。
言ってることをしっかり見れる人は
やってることもしっかり見れます。
そして、あまりの違いに愕然とする。
あれ?全然違うことやってない?って。
真逆のことやってない?って。
そして自分にがっかりもするし
それこそ「絶望」もする。
絶望って落ち込みまくって立ち直れないこと、じゃないですよ。
本気で絶望するからこそ
望む世界にチューニングし直せるのだから。
そうやって自分をまっすぐ見て
自分の体験を大事に丁寧に見ている人って
他人の体験からもまた、ものすごくたくさんの学びを受け取れるんですよね。
勝手に学ぶし、勝手に糧にする。
そしてどんどん望む方へと舵を切れるのだ。
ショートカットなんて意味ない。
たとえゴールに行けたとしても
そのやり方ではあなたの望むような感じ方はできない。
手間をかけることの大事さ。
手間をかけることの楽しさ。
そしてそのも愛おしさ。
そこに行き着くまでのプロセスを
また、とことん、味わっていくのが楽しいのだから。
たくさん学んで来た人。
知識だけでなく、それを生きた体験に変えていく
そのプロセスも楽しんでね♫
*メルマガ…たぶん近いはず

