~中島ともこという人~
1981年 佐賀県鹿島市という山と海に囲まれた
自然豊かな土地で
姉・兄・私・妹の4人兄弟の
3番目、次女として誕生しました
大工の棟梁をしていた職人気質の頑固な父
看護師をしながらも父の仕事が忙しくなると
看護師を辞め大工をする働き者の母
朝は早くから現場に向かい夜遅くに帰宅
両親が仕事でいない事が当たり前で育ちました
今の時代だと考えられないけれど
小学校低学年の頃
家と反対方向にある保育園に妹を迎えに行き
まだ幼い妹と1時間以上かけて歩いて帰ったり
夜遅く両親から呼び出され兄妹4人で
父が請負う現場へタクシーで向かい
作業灯を照らし家族皆んなで
最終仕上げの掃除をしたのは
我が家ならではの良き思い出の一つです
いくつも現場を掛け持ち
忙しくしている両親だったこともあり
甘えたいという感情はなく
寂しく思う時も特にありませんでした
なかったというか知らなかったというか
その環境で育った私にとって
それが当たり前で普通でしたし
休日は現場に行き、足場を駆け回り
端切れの木材で遊ぶのも楽しかったし
平日は兄妹で遊んで待っていたり
特に不満に思うこともありませんでした
唯一不満だったことといえば、、
厳格な父を怒らせてしまった時
兄妹で並ばされ
怒鳴られハエたたきで叩かれるのが定番で
次女で3番目の私のポジションは必然的に真ん中
同じことで怒られているのに
なぜか私ばかり叩かれていたことかな笑
ポジションだけの問題ではなかったのかもしれませんが
あれは、、本当に痛くて今でも忘れられません笑
小学生時代はバレー部に所属していました
Bチームのレシーバー
決して華があるポジションではなかったけれど
どんなボールも必ず受けて次に繋げるんだ!と
置かれた場所で自分の役割を全うすることに
充実感を覚えたのはこの頃でした
バレー部で培った
不器用なりに任された事をやりきる精神は
私の人生の箇所箇所で力となりました
中学〜高校時代はとにかく自由で
友達と遊ぶことが最優先
学校には友達に会いに行く感覚だったので
友達がいなければ途中で帰ってしまったりと
勉強もほぼできない困ったちゃんでした
いつだったか父に引きづられ学校に連れていかれ
普段家にいない父に『私のことなんにも知らないくせに!こんなときばっかり!』と、父親顔された事にムカついて、同日学校を抜け出し帰ったのはここだけの話です
今親になってわかるけど、、
本当何を考えているかわからない
手に負えない娘だったと思います笑笑
今思えば、両親が忙しく家にいない事や
スキンシップが少ない父の厳しさは
当たり前な環境だったけれど
当時は気づかないだけで寂しい、構って欲しい
私を見て欲しい、本当は甘えたいという思いが
心のどこかにあったのかもしれません。
だから
家にいない両親には甘えられず、伝えられず
反抗期という多感な時期に
爆発してしまったのだと思います
4人兄妹の3番目・両親は多忙
自由に育ってきた反面
幼い頃、感覚として得られなかった両親の愛情が
認められたいという承認欲求として残り
結婚してからは
父から認められたい。人に必要とされたい。
という思いが強く
【認めてもらえない自分】でなく
【認めてくれない人・コト】に不満と悲観が湧き
この頃からネガティブ思考になっていきました。
フレスカメソッド
