成功しても失敗しても、人生の真実は、
その質とほとんど関係ないということである。
人生の質はつねに喜ぶことのできる能力に比例している。

喜ぶことのできる能力は、日常の細部に目をやることによってもたらされる贈り物だ。



毎朝、ワークをやっている↓本を読んで、頭を殴られたような気がした。
プライベートな話になっちゃいますが、
私の実家の家族関係は少し複雑で、
私が幼いころから両親の仲が悪く、今は離婚しています。

ずっと苦労していた母を見て、
私は、幼いころから、悲しくなったり、哀れに思ったり、心配したり、
母の人生はなんだったんだろうか…と勝手に1人で考えて胸を痛めることが、何度もありました。

でも、この文章を読んで、母親は、
「自分は不幸だった。」
「生きてても意味がなかった。」
とは、毎日思ってないだろうなと思いました。


本では、著者の祖母が亡くなるまで手紙をよく著者に送っていて、
その内容は、自分の不幸を嘆くのではなく、
庭に咲く花や木々たちが生き生きと育つ様子や季節のささいな変化も細かく描写されていて、
読んでいて心が豊かになり、祖母の満たされている気持ちが伝わる手紙で
祖母の不幸な境遇など想像できないくらい…と書かれていました。

どんなに不幸な境遇や環境でも、それらがその人の人生の価値を決めるわけではなく、
その人がどれくらい身の回りに目を向け、何を思うのかが大切だと。

それを読んだとき、私は母を思い出しました。
母は、部屋やベランダに、たくさんの植物を育ていて、
毎日楽しそうに、「今日は球根に芽がでた。いよいよ春がきそうね」と私や妹に話したり、
自分が育てている植物の成長を、嬉しそうに話していました。

季節の移り変わりについても
「外に洗面器で水を張っていたら、表面が凍っていた。寒いね~!」とか、
朝寝ぼけている私が、「朝から元気だな~」と少々冷やかだったかもしれないですが
小さい変化にも、子供のように(子供以上に?)敏感な母でした。

私自身、植物を育てるのが大好きな母や祖母の影響で、
ベランダで植物を育てたり、切り花をたまに買って部屋に飾ったり…などするけど、
私は大人になるにつれ、「喜ぶ」ことが少なくなった気がします…。

精一杯やってるつもりだけど、日常の細部に目をやりきれず、
やっつけ仕事みたいに生きてるのではないか…ってふと気づいてしまいました。
とってももったいない。


目の前のきれいな景色を、心温まる人の優しさを、
チャンスをもらえている幸運を…
見逃さないように。感謝の気持ちをかき消してしまわないように。

心が溢れてしまうまで、詰め込まない。
自分の笑顔も、人の笑顔も大切にできる、心の余裕を持ちたいと思う。



anne