ある日


道を聞かれた。


昔からよくあるので動揺はしないけど


このタイミングで聞く?という時がある。


まさにその状況。


私はイベントに参加するために大阪駅にはじめて降り立った。



かなーり広い。まるで迷路。



その頃、乗り慣れない電車移動に緊張していて


JRやメトロ、阪急など違いが分からず完全に迷子。


駅員さんも会社ごとに管轄があることを知り、何人目かの駅員さんに聞いてようやく目的地に向かえる。


そう安堵した時に、声を掛けられた。


カタコトの英語。

相手は中国の方??



日本語は話せないようで、こっちもカタコトの英語で何とかやり取りする。



どうやら梅田駅に行きたいようだった。

聞き取れても、説明する英語が浮かばない。



ぎこちない英会話。(お互いカタコト)

イベントまでのタイムリミット


少し焦りながら、看板を目印になんとか案内できた。


彼女らは中国語でお礼?を言うと手を振って歩き出した。



私もスーツケースを転がし、旅行者の装いだったのに「なんで、私?」と不思議だった。



それ以外に

東京に来て間もない頃「銀座駅」の行き方を尋ねてきた外国人さん達も(もちろん英語)


スッピンで近所を歩いていた時に道を尋ねてきた自転車のお兄さんも



何度となく

「なんで、今?」「なんで、私?」

と深く考えることなく終わった出来事も


今思うと


外見だけじゃなく、

“空気”として「この人は大丈夫」

という安心感・安全感が伝わったのかな。


そう都合良い解釈をしたら、

嬉しさでちょっとだけニンマリした照れ