みなさま、こんばんは。
sachiyoです。
今日ふと、私なんでエステティシャンになったんだっけ?と。
私は小さいころから容姿にコンプレックスがありました。
家族、親族、みんな肌が白いのに私だけ黒い・・・
私は両親の子供ではないのだろうか?と疑うことも。
母に「何で私は色が黒いの??」と聞くと、「ごめんね。あなたがお腹にいるとき、イカの塩辛ばかり食べて
いたからなの
」と。
イカの塩辛~
塩辛を食べ過ぎて肌が黒くなるなんて聞いたことがない。
母のこの発言・・・おかしくね???
ますます疑惑は深まるばかり・・・だが、疑惑はあやまりだと気づく出来事がおきた。
10年ほど前、祖母の家に行ったとき、母の高校生の時の写真が出てきた。
寛一お宮の格好をした母の写真だ。私とうり二つだった。しかも、母は寛一役だった
いやいや、私は母と私の馬鹿げた過去を語りたいのでない。
なぜ2年前、エステティシャンに復帰したのかということを書きたいのだ。
容姿にコンプレックスを感じながらも、大学生になりお化粧をするようになった私は少しだけ自信をもてるようになった。
メイクってすごい!!自信がもてると世界が変わる!!メイクの楽しさをみんなに伝えたい!!
大学3年にもなると、進路を考えるようになり、どうしても私はメイクの学校に行きたかった。就職しないで学校に行くとなると両親は絶対に反対だ。
県外の大学に行く条件も 卒業後は地元へ帰ることが条件だった。
ならばWスクールだ!!4回生とメイクの学校、両方いけばいいのだ!!と。
が、現実は厳しかった。まず、メイクの学校の学費が払えない!!!
Wスクールを思いついたのは大学3年の冬だった。それから200万ほどの学費を稼ぐには無理がある。
諦めの早い私は、ならば化粧品会社へ就職をしようと思い立った。
でもそこには私の決定的な問題があった。国内メーカーの化粧品がほぼ合わない。
昔から化粧品オタクで数々の化粧品を購入しては肌が荒れるということを繰り返した。
そしてそれを友人にあげる。友人のために買っているようなものだ
不思議なことに一部の外資系化粧品はなぜだか大丈夫だった。外資系に就職したいと張り切るも、
その当時、外資系化粧品販売員は中途採用しかとらないと言われた。
今思えば、ネットもない時代で情報不足なだけで募集はしていたのではないかと思う。
またもや、壁にぶち当たり、周りは着々と就職活動をはじめ、焦りは最高潮にまで達した。
もう、なんでもいい、どこでもいいから就職しよう!!
医薬品会社から内定をもらった時点で就活を止めた。大学のクラスで2番目に早かった。
一旦は化粧品会社への就職をあきらめたものの、まだ夢はあきらめきれなかった。
就職直前の大学生最後の春休み、地元のデパートで、外資系化粧品会社の美容部員さんに、
「どうやったら働けるの??」と聞いた。彼女は、外資系メーカーの正社員ではなくデパートの正社員だった。
担当が化粧品なだけだった。
うらやましくて仕方なかった私は、彼女を質問攻めにした。
メイクの学校のこと、売り場の内情、いろんなことを話した。
すると、「私の友人がね、メイクの学校に行ってるよ。場所教えてあげるね」と。
私には希望が見えた。頑張って働いてお金をためてメイクの学校へ行く!!!
条件もよかった。週に1回、月曜日だけだった。受講の開始月も9月からだった。
今思えば、新入社員が9月から毎週月曜日を休むなんて無謀な話だが、その時は可能に思えた。
実際、可能だった。なぜならば恥ずかしいことに5ケ月20日で退職したからだ。
夢のためではない。いや、夢のためもあった。でも正直な理由は仕事に耐えられなかったからだ。
お医者様相手の営業は私には辛かった。
就職決まるのがクラス2番だった私は、1番に辞めたのだ。一つ順位をあげた。ナンバーワンだ。いや、ワースト1か・・・
そんなこんなで念願かなって学校に行き始めた。
同時にエステティックサロンでバイトを始めた。
メイクの学校も楽しかったが、それ以上にエステでのバイトが楽しかった。
そのころの私は、大きな勘違いをしていて「お客様はお友達
」と思っていた。
新規のお客様が来店される度に友人が増えたと思っていた。とにもかくにもお客様が大好きだった。
プライベートでもしょっちゅう遊びに行った。今、仲良くしている友人の何人かはその当時のお客様である。
ここまで書いて、まだ本題にはいっていないではないか・・・!!
今日はここまでにしておきます。
では、またね~