歩行に向けての最終段階にきている。
もう少しで杖が離せそう。
先日、理学療法士に言われた言葉。
「意識したほうがいいことと、無意識でしたほうがいいことがある」
もう本当にいつもいつもありがとう!
なんて素晴らしいアドバイスをくれるのだろう。
意識しすぎてするゆっくりな動きが、過剰に左足に乗ろうとする時間を増やし、そのことで、身体が余計に硬くなり、守りの体制に入ることで使われてしまう筋肉。
これを使ってしまうことで、本来働いて欲しい筋肉が使われない。
本来働いて欲しい筋肉はただでさえ弱いから、それを守るために代償として、身体は上手に他の筋肉を使う。
それをしないためには、どこは意識して動かしたほうがよいのか。
どこは無意識に動かした方が本来働くべきところが働くのか。
私は小学生から高校生までエレクトーンを習っていたのだが、ふとそのときのことを思い出した。
その曲を覚えるところまでは、ワンフレーズごとに意識を働かせることが大事なんだが、エレクトーンは手足それぞれがバラバラな動きをしていくので、最後は無意識にその曲が弾けるところまでいく。
もちろん、どこか、今はここを弾いているんだ、ここは強く、ここは楽しげにといった、全体への意識は残っているが、あとは調和なのである。
歩けない時期が長いと、無意識レベルで歩くリズムを忘れてしまうので、最初は意識して歩を進めるのだが、あるレベルからは無意識になっていかないと、出せない動きや筋肉の使い方がある。
これは全ての物事に共通しているなぁ、と思うのだ。
観察をして、意識してできる全てのことをしたら、あとは無意識に任せるのだ。
もしかしたら、無意識に任せたことで新たな問題が出てくるかもしれない。
だけど無意識でやってみなければわからなかった自分の癖を見つけていくのがいい。
癖が悪いとか良いとかジャッジはしなくてよい。
さて、今度は何が必要かな?と見ていく。
ガチガチに観察オタクを抜け出すと、また一歩進む気がする。