病気をしたら、一定の時間どうにもこうにも悲しくて、涙が止まらなくて、すべてを受け入れられない時間があっていいのだと思う。
久々に入院患者さんと過ごす機会が多く、ふと思いました。
私に「お姉ちゃんはケガだから治るからいいね。私は半身麻痺だから。何にも悪いことしてないのにさ。」とおっしゃる方と出会いました。
今回の事故では意識が朦朧としたりして、自分の怪我について考えて泣き喚いたりする時もなかったが、初めての子宮筋腫の手術が決まるまでは、それはそれはドラマチックに泣いたり喚いたりした。
だけど、そんなときを味わいつくした後は、もう何にも恨まず、目の前にあることに向き合っていくしかなかった。
何を責めても、誰を恨んでも解決しない、ということが腑に落ちたのは、それからしばらくしてからだ。
時は流れて、今回のこの事故。
私はこの事故は、今だからこんな気持ちで穏やかに受け止めることができるんだろう。
そう思うと、全てはパーフェクトなタイミングでやってきている。
だから今はただ、
今この状態をどうすることで自分の身体や心が楽になっていくのか、しっかりと見極めていく、そんな時間を持てることがありがたい。
そんな風に、見極める体力が保てたなら、それは素晴らしい。
(というのも、見極め=観察にも体力、気力を要するからだ)
色んな理由で、調子が悪いときはそれすら出来ないときが多いので、せめて元気な時から、どうしたら自分が満たされていくのか、観察したり、実験したり、練習がしたい。
そのためには、日々自分と向き合って、大切にしたいものを誤魔化さないでいたい。
「あの時ああすれば、こうしといたら」
「何にも悪いことしてないのに、こんな病気になって」
そんな風に、いつまでも悲劇のヒロインでいたいですか?
「あの時ああした自分、こうしなかった自分はそれで良かった」
「この病気(もしくは怪我でも)になったからこそ、こんな経験ができて素晴らしい」
ハッピーエンドは自分だけが作れる気がする。
全部自分、あー素晴らしい。
なんて、しみじみしちゃうのでした。
わーっと泣き叫んだり、恨み言いうのを否定しているわけではない。
発散したり、受容したりのタイミングを何度も迎えて成長できたら、それだけでも宝だ、と思うのです。