卑弥呼と会津<20>
ご無沙汰でした。この1週間、慣れぬH P製作で、こもりっきりでした。
トータルで10ページです。何度も助けて!と思いながら、お絵かきと「物語」とは言っても、そこそこオフィシャルなもので、なおかつ「英文」なので、肩は凝るは、目は霞むはで、頼みの綱は、「開当・男山」。もう付き合って、7、8年にはなるかなぁ。会津、田島の酒だが、まずは味わっておいた方が、得かな。なんていうか、うまいのはもちろんなのだけれども、天秤の梁のような、そんな酒だと言っておこう。
「戊辰はるか」も、「仮処分」も音沙汰なしで、H Pに専念できたのは良かったのだけれど、少しだけ気にはかかる。明日には、U Pもできそうだから、気分は少し落ち着いた。
H Pの中で、3・11に触れることがあって、記憶違いは困るから「検索」をかけたら、もうA Iモードになってしまうらしく、つい調子に乗って、「風の又三郎」はどんな風と聞いてみた。
もう15年前に見つけていたのだが、誰も喜んではくれない。このギャップが、全くというほど埋まらない。だから、人間相手ではなく、A Iに聞いたという、情けない話なのだ。
これを知ったのは、まさに3.・11、東日本大震災のあとだった。原発事故の放射線と関わりがあった。データを見ていて、不思議なことがあった。猪苗代湖のシーベルトがほとんど上がっていなかったのだ。原因を探して、初めて分かった、風だった。三月に入ると吹く風がある、「西風」。これが原因だった。この風を猪苗代の人々は「弥勒風」と呼んでいた。多分、賢治もこれは知らなかっただろう。彼は山梨のどこか、友人の家で、近くの山に「風の三郎」がいることを聞いたらしい。この三郎は「北の風」で、彼はそこから「又三郎」を着想したようだ。
大戸岳には「風の三郎」がいる。そしてその麓の「闇川」(くらがわ)は、美人の産地。遠く都からもやんごとなき人々が、妻問いにきていたという伝承が残っている。だからと言うわけではないが、磐長姫も木花咲耶姫の伝承もここには残っているのかも、と思いたくなるのは、私だけだろうか。
いまは、これ見よがしに背炙山では、風力発電装置が勢いよくブン回っている。そのお陰か、あちらこちらで熊が出る。太陽光に、風力発電、これにAIが加わる。そのうち、いやとっくに 人間追い出しが始まっている。
あの時は、県博には、赤坂館長がいたはずだ。あの柳田國男の研究で「賞」をとって、会津に来たと言っても、住まいは東京で変わらなかったようで、どう見ても、「会津」には馴染めなかったようだが、民俗学者は、河童にはなじめても まだまだ、猿、鹿、熊にはなじめそうもないようだ。
