9歳のころ見た夢を叶える日
学校から帰宅すると大暴れ! 子どものストレスを軽減する方法
【ママからのご相談】
こんなアメブロニュースを見た。
小学校に上がって10月ごろかな?
息子たちの小学校は新校舎に移った。それからのことだけど、
家からの出がけに泣いて登校を渋ったことがあった。
そういう時はただただ抱きしめた。
引っ越し組だったし、ストレスはあっただろうと思う。
すぐそばにも引っ越し組の同級生がいて、彼のおかげで息子は
救われていた部分もあったと思う。
そんなあたりの息子が繰り返し私に読ませた本がある。
『星の銀貨』挿絵ステファン・ザブレル
いろいろな『星の銀貨』が出ているけれども、私が見た中ではこの本が一番
この子どもをよく描いていた。
何度も何度も何度も読みかえし、子どもは学校に行く勇気を貰っていたと思う。
子どもの成長過程で乗り越えるのが大変な時が何度かある。
2歳半から3歳に言葉と言う自由を得る。
自由を得るとは親から少し離れて生きるという事だ。
6歳から7歳。歯が生え換わる時期に親のさやから出て「社会」とたった一人で向き合う。
身体的にも親からもらったものが歯を最後に全部入れ替わるのだ。
9歳から10歳は思春期の始まり。ギャングエイジと言われる時期、親との決別が迫っている。
シュタイナーはこの時期を「ルビコン川を渡る」と比喩している。
もう、親のお腹には戻れない。子どもは親の一部ではなく独立した人格を創っていく。
9歳ごろには「天国」との境目が近づき、死に対して恐怖を覚えることもあるという。
私にとってエポックだった「回廊のある家」のビジョンが見え始めたのがちょうどこの頃。
自分の人生目標や夢の原風景が出てきた。
9歳のころに抱いていた夢に最後人は辿りつく、というか戻っていくのではないかな?
そうやって
いくつもの危機を乗り越えて、私たち自身も大人になってきた。
乗り越えることはいくつもあるし大変だけれども、
勇気をもって生まれてきた子どもたちと大人たち。
いとおしくなる。
この春小学校に入学した息子です。幼稚園と違って、じっと机に向かって、勉強する..........≪続きを読む≫
【ママからのご相談】
こんなアメブロニュースを見た。
小学校に上がって10月ごろかな?
息子たちの小学校は新校舎に移った。それからのことだけど、
家からの出がけに泣いて登校を渋ったことがあった。
そういう時はただただ抱きしめた。
引っ越し組だったし、ストレスはあっただろうと思う。
すぐそばにも引っ越し組の同級生がいて、彼のおかげで息子は
救われていた部分もあったと思う。
そんなあたりの息子が繰り返し私に読ませた本がある。
『星の銀貨』挿絵ステファン・ザブレル
いろいろな『星の銀貨』が出ているけれども、私が見た中ではこの本が一番
この子どもをよく描いていた。
何度も何度も何度も読みかえし、子どもは学校に行く勇気を貰っていたと思う。
子どもの成長過程で乗り越えるのが大変な時が何度かある。
2歳半から3歳に言葉と言う自由を得る。
自由を得るとは親から少し離れて生きるという事だ。
6歳から7歳。歯が生え換わる時期に親のさやから出て「社会」とたった一人で向き合う。
身体的にも親からもらったものが歯を最後に全部入れ替わるのだ。
9歳から10歳は思春期の始まり。ギャングエイジと言われる時期、親との決別が迫っている。
シュタイナーはこの時期を「ルビコン川を渡る」と比喩している。
もう、親のお腹には戻れない。子どもは親の一部ではなく独立した人格を創っていく。
9歳ごろには「天国」との境目が近づき、死に対して恐怖を覚えることもあるという。
私にとってエポックだった「回廊のある家」のビジョンが見え始めたのがちょうどこの頃。
自分の人生目標や夢の原風景が出てきた。
9歳のころに抱いていた夢に最後人は辿りつく、というか戻っていくのではないかな?
そうやって
いくつもの危機を乗り越えて、私たち自身も大人になってきた。
乗り越えることはいくつもあるし大変だけれども、
勇気をもって生まれてきた子どもたちと大人たち。
いとおしくなる。
この春小学校に入学した息子です。幼稚園と違って、じっと机に向かって、勉強する..........≪続きを読む≫
鞍馬山の金星人
京都へ小旅行
しっかし、今回は初日だけで22,000歩、歩いた。
中でも鞍馬山登りはえらいことになった。
ガイドブックによると、なんでも金星からやってきた魔王が祭られているというパワースポット。

こんな風に木の根っこが表面に張っているのが、鞍馬山の特徴。
昔、赤道直下の海底にあった地盤が噴火などで隆起したらしい。
貝類の化石などが見える岩盤は固く、木の根っこは表層に張り巡らすしかなかったようだ。
磁場が乱れていてこんな風にねじり、よじれる根っこや幹もあちらこちらに散見される。

ここ鞍馬山は修行場であり、術が飛び交ったのかもしれない。
西口からの入山となり、残念ながら奥の院のみの参拝となったので本堂あたり
どんな磁場なのかわからないが、西側は結構男性的で荒々しい様相を見せていた。
鞍馬さんの祈りのことばは
月のように美しく
太陽のように暖かく
大地のように力強く
尊天よあふるる恵みを与えたまえ
とある。
私たちが見た鞍馬山は「大地のように力強く」そのもの。
硬く何人をも受け付けぬ岩盤
それをモノともせず岩盤の上に根っこを張り巡らす大木
大木の精霊に勝負を挑み力試しを行った痕の数々
それは祈りの言葉にある美しさよりは魔王の創造と破壊イメージそのもの。
魔王殿。霊王が金星より天降った場とされる。

そのいわれだけでも異色ではある。
三身一体の尊天がご本尊なのだが、経緯がある。
創建は西暦770年。平城京の末期である。
藤原仲麻呂の乱の後、孝謙天皇に取りいった道鏡による独裁政治が布かれていた。
そんな中、鑑真の高弟が霊夢により毘沙門天を祭る社を鞍馬山に建てた。
もともと鑑真は聖武天皇に招へいされて日本にやってきた。
聖武天皇とその妻である光明皇后により大仏建立を実現し、
さらなる仏教興隆のため鑑真を求めたのだ。
その側近を務めていた弟子である。
光明皇后の意思を継いだ藤原仲麻呂が打たれたことに
強い危機感を持っていただろうと思われる。
毘沙門天とは四天王の内、北方守護の一柱だ。
鞍馬山の霊力を結集し、腐敗政治を改めさせるための武神を置いたに違いない。
仲麻呂の乱から16年後784年に桓武天皇により新しく長岡京が設置された後
794年に平安京に遷都した。
西暦796年には、藤原伊勢人という廷臣の霊夢に貴船神社の神が現れ、そこに
観音様を祭る托宣を受けた。
貴船は、日本の初代神武天皇の母玉依姫が「気の生まれる根源」である位の高い竜神を祭った場所で、鞍馬山からほど近い。
そこは、雨乞いの聖地である。時代の天皇が通ったであろうと想像する。
そんなときに託宣を受けた伊勢人は、どんな人をも広く救うという決意を民衆に知らしめるためにも千手観音をお祭りしたいと思ったのかもしれない。
しかし託宣を受けたその場所には武神がすでにいる。それに対し
毘沙門天と千手観音はもともと一つだと霊夢は告げその後二神を祭るようになる。
9世紀ごろ真言宗寺院となり、12世紀には天台宗に改宗。
昭和期の住職信楽香雲が立てた神智学を取り入れた新興宗教として独立開宗した。
もともと鞍馬山は山伏による密教、山岳信仰が盛んであり、山に住むという天狗にとって総本山ともいえる一つだという。それが護法魔王尊として教義に取り入れられたということだろうか。
顔が赤くて鼻の高い天狗とは宇宙から飛来した金星人だったのかもしれないね。

今回の旅では「月のように美しい」「太陽のように暖かい」部分をあまり
ウォッチングできなかった。
こんど行くことがあったら、仁王門から行かなきゃ。
あうんの虎というのも珍しいしね。
しっかし、今回は初日だけで22,000歩、歩いた。
中でも鞍馬山登りはえらいことになった。

ガイドブックによると、なんでも金星からやってきた魔王が祭られているというパワースポット。

こんな風に木の根っこが表面に張っているのが、鞍馬山の特徴。
昔、赤道直下の海底にあった地盤が噴火などで隆起したらしい。
貝類の化石などが見える岩盤は固く、木の根っこは表層に張り巡らすしかなかったようだ。
磁場が乱れていてこんな風にねじり、よじれる根っこや幹もあちらこちらに散見される。

ここ鞍馬山は修行場であり、術が飛び交ったのかもしれない。
西口からの入山となり、残念ながら奥の院のみの参拝となったので本堂あたり
どんな磁場なのかわからないが、西側は結構男性的で荒々しい様相を見せていた。
鞍馬さんの祈りのことばは
月のように美しく
太陽のように暖かく
大地のように力強く
尊天よあふるる恵みを与えたまえ
とある。
私たちが見た鞍馬山は「大地のように力強く」そのもの。
硬く何人をも受け付けぬ岩盤
それをモノともせず岩盤の上に根っこを張り巡らす大木
大木の精霊に勝負を挑み力試しを行った痕の数々
それは祈りの言葉にある美しさよりは魔王の創造と破壊イメージそのもの。
魔王殿。霊王が金星より天降った場とされる。

そのいわれだけでも異色ではある。
三身一体の尊天がご本尊なのだが、経緯がある。
創建は西暦770年。平城京の末期である。
藤原仲麻呂の乱の後、孝謙天皇に取りいった道鏡による独裁政治が布かれていた。
そんな中、鑑真の高弟が霊夢により毘沙門天を祭る社を鞍馬山に建てた。
もともと鑑真は聖武天皇に招へいされて日本にやってきた。
聖武天皇とその妻である光明皇后により大仏建立を実現し、
さらなる仏教興隆のため鑑真を求めたのだ。
その側近を務めていた弟子である。
光明皇后の意思を継いだ藤原仲麻呂が打たれたことに
強い危機感を持っていただろうと思われる。
毘沙門天とは四天王の内、北方守護の一柱だ。
鞍馬山の霊力を結集し、腐敗政治を改めさせるための武神を置いたに違いない。
仲麻呂の乱から16年後784年に桓武天皇により新しく長岡京が設置された後
794年に平安京に遷都した。
西暦796年には、藤原伊勢人という廷臣の霊夢に貴船神社の神が現れ、そこに
観音様を祭る托宣を受けた。
貴船は、日本の初代神武天皇の母玉依姫が「気の生まれる根源」である位の高い竜神を祭った場所で、鞍馬山からほど近い。
そこは、雨乞いの聖地である。時代の天皇が通ったであろうと想像する。
そんなときに託宣を受けた伊勢人は、どんな人をも広く救うという決意を民衆に知らしめるためにも千手観音をお祭りしたいと思ったのかもしれない。
しかし託宣を受けたその場所には武神がすでにいる。それに対し
毘沙門天と千手観音はもともと一つだと霊夢は告げその後二神を祭るようになる。
9世紀ごろ真言宗寺院となり、12世紀には天台宗に改宗。
昭和期の住職信楽香雲が立てた神智学を取り入れた新興宗教として独立開宗した。
もともと鞍馬山は山伏による密教、山岳信仰が盛んであり、山に住むという天狗にとって総本山ともいえる一つだという。それが護法魔王尊として教義に取り入れられたということだろうか。
顔が赤くて鼻の高い天狗とは宇宙から飛来した金星人だったのかもしれないね。


今回の旅では「月のように美しい」「太陽のように暖かい」部分をあまり
ウォッチングできなかった。
こんど行くことがあったら、仁王門から行かなきゃ。
あうんの虎というのも珍しいしね。
希望年収のために何をする?
いくら給料をもらいたいのか。
いくら収入がほしいのか。
そのために今いるところでできることがあるか。
「500万欲しい。だから5,000万を売り上げて会社に貢献する」とかね。
そういう材料が見つかれば流されることはないだろうと思う。
私の場合は・・・
営業時代、申し訳ないことだが「3年間の営業修行」のつもりで仕事をしていた。
気を付けたことは「上司がもっとも望んでいることを提供する仕事をする」
ということだった。たとえ嫌いな上司でも、その喜ぶ仕事を差し出すことを心がけた。
なにせ、こちらは修行の身。
上司の技を盗もうとしているのだ。
上司の喜ぶ仕事。
つまりそれはとりもなおさず営業成績を残すことなのだが、女性ばかりの職場で「データ営業」という副産物も提供した。
それは、人と話すことがそれほど得意でない私
が必要に迫られて編み出したものだが
結果としては、上司が部下に対してリーダーシップを発揮できる材料を提供することになった。
私たちのチームは、どんどん成績を上げることができ、上司は出世した。

直行直帰でエリアを回る営業スタイルは主婦にとって働きやすいものだった。
月80時間ほど働き月25万円越えの仕事は私にとっては大きな意味のあるものになった。
数々の賞状をもらったり、海外研修に参加できたことで収入だけでは得られない達成感を持てた。
営業だってちょこっとはできるじゃん私、という自信になった。
主婦生活というものは24時間仕事で、達成感を味わいにくいんでね
その自信がなせる技。
それは、「限界突破思考」だろうな。
営業修行のさなかに得たもので最も大きかったのは、目標年収を得たことでは?と思う。
まさしく営業収入の10倍のものが目の前に出現した。
前にも書いたとおり、開業医の平均年収で1,200万円だというのに。
限界突破にもほどがある。
今いる自分から積み上げ方式では絶対出てこない夢のまた夢。
たぶん他のひとからみたらキチガイか変人だと自覚するが。
3年目営業修業を辞める時引きとめの餌として「幹部」席まで提示され、1年かかって両立の道を探ったが結局は辞める選択をした。目標に向かって描いたルートを実践するには二股は無理だと判断した。
残念なことに両方に全力を注げるほど器用じゃなかった私。

営業を始めて1年ぐらいの時。一旦出てきてしまった目標に向かって手段を研究しはじめた。
株、ヤフオク、セドリ、アフィリエイト・・・
「株で一億円」「アフィリエイトで3,000万円」とかそんな本がごろごろ出ていた。
営業で疲れながらもいろいろな本を読むうちにブログというものにとっても興味がわいてきた。
一年後には「女神のレシピ」というブログをはじめ、「結婚の科学」など書いた。
楽天・シーサー・アメブロ・FCなど使用しながら、ネットと仲良くなっていったという感じ。ネット情報との適切な関係というもの、あるしね。
ブログを書いたもうひとつの理由は、自分が書き続けられるもの、書き続けたいものを探すことだった。それはつまり人生目標をつかむことだと思った。
いくら収入がほしいのか。
そのために今いるところでできることがあるか。
「500万欲しい。だから5,000万を売り上げて会社に貢献する」とかね。
そういう材料が見つかれば流されることはないだろうと思う。
私の場合は・・・
営業時代、申し訳ないことだが「3年間の営業修行」のつもりで仕事をしていた。
気を付けたことは「上司がもっとも望んでいることを提供する仕事をする」
ということだった。たとえ嫌いな上司でも、その喜ぶ仕事を差し出すことを心がけた。
なにせ、こちらは修行の身。

上司の技を盗もうとしているのだ。
上司の喜ぶ仕事。
つまりそれはとりもなおさず営業成績を残すことなのだが、女性ばかりの職場で「データ営業」という副産物も提供した。
それは、人と話すことがそれほど得意でない私
が必要に迫られて編み出したものだが結果としては、上司が部下に対してリーダーシップを発揮できる材料を提供することになった。
私たちのチームは、どんどん成績を上げることができ、上司は出世した。

直行直帰でエリアを回る営業スタイルは主婦にとって働きやすいものだった。
月80時間ほど働き月25万円越えの仕事は私にとっては大きな意味のあるものになった。
数々の賞状をもらったり、海外研修に参加できたことで収入だけでは得られない達成感を持てた。
営業だってちょこっとはできるじゃん私、という自信になった。
主婦生活というものは24時間仕事で、達成感を味わいにくいんでね

その自信がなせる技。
それは、「限界突破思考」だろうな。
営業修行のさなかに得たもので最も大きかったのは、目標年収を得たことでは?と思う。
まさしく営業収入の10倍のものが目の前に出現した。
前にも書いたとおり、開業医の平均年収で1,200万円だというのに。
限界突破にもほどがある。
今いる自分から積み上げ方式では絶対出てこない夢のまた夢。
たぶん他のひとからみたらキチガイか変人だと自覚するが。
3年目営業修業を辞める時引きとめの餌として「幹部」席まで提示され、1年かかって両立の道を探ったが結局は辞める選択をした。目標に向かって描いたルートを実践するには二股は無理だと判断した。
残念なことに両方に全力を注げるほど器用じゃなかった私。


営業を始めて1年ぐらいの時。一旦出てきてしまった目標に向かって手段を研究しはじめた。
株、ヤフオク、セドリ、アフィリエイト・・・
「株で一億円」「アフィリエイトで3,000万円」とかそんな本がごろごろ出ていた。
営業で疲れながらもいろいろな本を読むうちにブログというものにとっても興味がわいてきた。
一年後には「女神のレシピ」というブログをはじめ、「結婚の科学」など書いた。
楽天・シーサー・アメブロ・FCなど使用しながら、ネットと仲良くなっていったという感じ。ネット情報との適切な関係というもの、あるしね。
ブログを書いたもうひとつの理由は、自分が書き続けられるもの、書き続けたいものを探すことだった。それはつまり人生目標をつかむことだと思った。