伊弉諾神宮





着いて驚いた!(◎_◎;)
想像以上に大きくて広い





本殿
までの参道も長く、広い敷地だ…
までの参道も長く、広い敷地だ…池も庭園風で、美しく、見事だ…
立派な門をくぐり、
最初に会った龍
が、ずっと付いてきているんだね


が、ずっと付いてきているんだね


でも、伊弉諾
は、初めてなのだ…
は、初めてなのだ…胸が高鳴る





いったい、どんなエネルギー
なんだろう


なんだろう


本当に楽しみだ





伊奘冉
(いざなみ)の対なはずなので、
(いざなみ)の対なはずなので、伊奘冉
の片割れらしきエネルギー
を探す…
の片割れらしきエネルギー
を探す…諭鶴羽山で覚えた、2匹の龍
がトルネードする様な感覚

がトルネードする様な感覚

あの対になる伊奘冉
エネルギー
とセットになる様なエネルギー
を探す…(u_u)…
エネルギー
とセットになる様なエネルギー
を探す…(u_u)…なのに…どこに糸を延ばしても、繋がらない

引っかからないのだ




引っかからないのだ


何故

こんなに楽しみにして来たのに




こんなに楽しみにして来たのに


広い境内をくまなく探す…
ない…
こんなに広いのに…何処にもない…
何で…

…


…伊奘冉
のエネルギー
を思い出し、
のエネルギー
を思い出し、再び、呼び起こし、伊弉諾
を探す…
を探す…あの時の伊奘冉
のエネルギー
を思い出す…
のエネルギー
を思い出す…パワフルで
愛
に溢れてて…
愛
に溢れてて…それでいて、無限の可能性
に満ち
に満ち
まだ自分でも知らない未知
への可能性
が開かれる…
への可能性
が開かれる…又は、そこへと引き込まれる様な
味わった事のない恐怖にも似た…驚異的な
圧倒的
底知れぬエネルギー

圧倒的
底知れぬエネルギー

制限していた自分
を思いきり、揺さぶられる…
を思いきり、揺さぶられる…これでいいのか…
今のままでいいのか…
これが、本来の
真の己の姿
なのか…と
真の己の姿
なのか…と問いただされる…
浮き彫りにされるそのパワー
に
に恐怖さえ覚えるのだ…(u_u)…
こんな…はっきりとしたパワフルなエネルギー
の対になるものを見落とすなんて考えられない…
の対になるものを見落とすなんて考えられない…一体、何が起きてるんだろう





何で、伊弉諾
を感じられないんだろう


を感じられないんだろう


もしかして、私がアクセス
してた伊奘冉
(いざなみ)のエネルギー
そのものが、
してた伊奘冉
(いざなみ)のエネルギー
そのものが、伊奘冉
を超えて、もう少し根源
に近い…
を超えて、もう少し根源
に近い…源
のエネルギー
に触れていたんだろうか…
のエネルギー
に触れていたんだろうか…天御中主命
とか…高皇産霊尊
神皇産霊尊
みたいな…(u_u)…
とか…高皇産霊尊
神皇産霊尊
みたいな…(u_u)…********************
別天津神(ことあまつかみ)は、『古事記』において、天地開闢の時にあらわれた五柱の神々を云う。
『古事記』上巻の冒頭では、天地開闢の際、高天原に以下の三柱の神(造化の三神という)が、いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神
)として成って、そのまま身を隠したという。
********************
造化三神
と呼ばれている天御中主命
と高皇産霊尊
と神皇産霊尊
は、天津神
の中でも別格で別天津神
と呼ばれている事を知った


なるほど…(u_u)…
その説でいくと、熊野
の産田神社
でアクセスした生み出すエネルギー
は、伊奘冉
を超えた根源
のエネルギー
= 高皇産霊
神皇産霊
ならば、
いくら対のエネルギー
を探しても、辿り着けないはずだ…独神
なのだから…
凄い文もみつけた…
| ◆儀礼そのものの神格化 そのためには、順序として別天津神を論じるに先立って、まず神代七代の最後に登場する伊耶那岐・ 伊耶那美と言う男女2柱の神が聖婚して国土と神々を生み成すという「修理固成」の段を、あらかじめ 取り上げておかねばならない。 この物語は、まぎれもなく太平洋全域に分布する天父神と地母神の結婚による世界創世説話に属する。 いわば本物の神話伝承であることもさることながら、その内容からして明らかに儀礼性豊かな表現に満ちて いる。要するに、かつては実在した祭りとして古代人たちが定期的に儀礼的再現を繰り返してきた、 その内容が神話に語り継がれたものにちがいない。『古事記』の前段と違って、この神話だけは 『日本書紀』や『古語拾遺』などの記載にも、その細部はともかくほぼ同じ内容が見られるのも、これこそ が生きた神話だったからである。 以上のことを確かめたとして、ひるがえって別天津神の神名に注目すると見えてくるものがある。 結論から先にいうと、それは、まず天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)が「天ノ御柱」に、 高御産巣日神(タカミムスヒノカミ) が「伊耶那岐命」に、 神産巣日神が「伊耶那美命」に、それぞれ対応 しており、いずれの造化神も後段の国生み・神生み神話を先取りして、いわば歌劇の序曲風にその主題を 観念化した結果の神格を示すということなのである。 天之御中主とは、その意味からして、確かに天の中心を主宰する宇宙神である。しかし、天御柱もまた 世界の神話に登場する宇宙樹や宇宙軸と同じもので、これを中心にして初めて万物が生まれコスモスが成 立する。天御柱を神話的に象徴すれば、天之御中主と言う神格となりうる。また高御産巣日と神産巣日とは 、ともにムスヒを神格化した対遇神である。そしてムスヒは産巣日とも表記するように、万物を生み成す 霊力を意味する。ムスは「苔ムス」のように生える、生じる、生まれるの意であり、ヒはビ・ミ・キと 同じく神秘な力をさしている。この2柱の産巣日神は、伊耶那岐と伊耶那美が国を生み神を生む神秘な 生命力を抽象化して観念された神々だと、容易に考えられるのである。 別天津神5柱の神々は、思索的に観念された、いわば原理神であることは否定できまい。その意味で、 純粋に神話の伝承というより、一種神学の所産に近いことも確かである。 しかしながら、ここで銘記すべきは、それが決して識者たちの勝手な創作ではなく、本来の国生み・ 神生み神話を深く思索した成果だということである。つまりは、古来日本人が構想してきたのは、 原初のカオスからコスモスがなるプロセスとして、まず万物が生じる神秘を植物の発芽や男女両性の 生殖の神秘としてとらえたのであって、その生命の霊力を神々のムスビ(産霊・魂)と畏敬してきたのだと かんねんしたからこそ、最終的に原理神として、宇宙軸を体現し万物を生み成す造化の神々を 別天津神としたのであろう。 |
なんだか…伊弉諾神宮
に来れたお陰で色々な事が分かり始め、淡路島全体
を取り囲む様に充満しているエネルギー
に納得したのだ…
正に、『生み出すエネルギー
根源
』
そこに、繋がれる場所
なのだなぁ~
と…
今までに知らなかったエネルギー


淡路島
凄いです








