いい気分ファーストっていうのには
人は「性強説」であるという
前提がやっぱり絶対に必要なんだなと
実感中
生命への歓喜と感謝をもって究極の絶対いい気分と安心を生み、自他共に高級な理想の現実を委ねる心で引き寄せ、持続する豊かで幸福な人生を創造する3つの法則。
以下はいい気分ファーストの法則・目醒めの法則・超ストーリー富と豊かさの法則の大事なポイントです
- 嫌な気分ファーストでいままでは生きてきてない?
- いまここでいい気分でいてはいけない正当な理由はありますか?
- 本質としての自分は誰?この肉体?それとも生命?生命を産み出した根源たる大いなる存在?
- 「私」って本当にいるの?それとも思考の産物?
- 思考は現実化するけれど、どの自分で思考しているの?
- 引き寄せは確かにあるけれど、どの自分が願望を叶えたいと思っているの?
- ネガティブな気分に没頭しない勇気や覚悟はある?
- 左脳の心理次元から右脳の心理次元に移ることをやってみたいと思う?
- 自分より大きな存在に委ねるって思ったことあります?
- これらの問いへの答えが、持続する幸せの人生へと大きく変化させていくことを可能にすると思えますか?
性強説っていうのは
人は生来「強いものだ」という説
それに対して
性弱説ってのがあって
それは人はもともと弱いので
強くならなければならない
というやつ
これのどっちを信じているかで
人生は全く反対のものになってしまうかも
性弱説だとつまりは
今の自分は弱いので
強くならなければならないという
つまり「弱さ」を前提にした生き方に
なって
人生の目的は
弱いままでは危険なので
危険を回避する「強さ」が必要だ
ということになり
つまり、誰かより・何かより強い
という「相対的な強さ」
っていうのが重要になります
そしてこの最弱説の根本は
この脆い肉体が私であるという
凡私的(ありふれた)思考の誤解が原因なんですね
でも最強説によると
人はもともと最強であり
この肉体はこの現実世界を「遊ぶ」ために
超私的(私を超えた大いなるもの)な意識を入れて運ぶものだから
そもそも肉体が私ではない=超私的な意識なので
人は弱いのではなく
その心・魂・超私的意識はそもそも強く
(正確に言えば強いも弱いも概念的にないんですが)
同時にそれを宿しているものも強い
という理解でいることです
ただここで誤解しないで欲しいのは
凡私的意識(潜在意識・顕在意識)で
この肉体が私であると信じている状態の
強さとは違うということ
肉体的強度があるとか
優越感での強さとか
能力が優れているとか
男は女より強いとか
そんな次元の強さではなく
積極的心の在り方保ち続けられる
そういう強さ
逆境でも平然としていられる強さ
他人に優しくある強さ
病の時もそれを気にせず
いい気分でいられる強さ
自分の強さを確信している強さ
物事に左右されない強さ
人生を楽しむ強さ
そういう超私的強さということ
もちろん
そんなこと言ったって
って言いたい人がいるのもわかります
僕もそうでしたから
僕の年代であれば
肉体的に強い男ってのが
強さの象徴であり
それに続いての「根性」が
強さを表したりしてましたから
そういう強さを持たない自分に
劣等感を持って
いつの間にか性弱説になってましたね
でもちがう
きっぱりいいます
ちがいます
そしてこの強さは
特に女性に持ってほしい
(もちろん男もですけど)
相手にノーといえずに
ずるずるとおかしな関係にはまるとか
経済的自立なんてできないから結婚しているとか
子供を産まない(産めない)自分に価値はないとか
そんなことはまったくなくて
あなたがもし「性強説」で
自分のうちにある超私的な意識に
気がつくことができれば
人生は全く違った様相になってきます
そしてどうして
最強説になれないかって言えば
それは「過剰に考えて生きている」からです
この凡私的な過剰思考が
最弱説を生きながらえさせている
力と言ってもいいかもですね
実は「いい気分ファースト」の時って
あまり考えないんです
それからいい気分の時って
「私」という思考が抜けていきます
この時の状態が「超私的意識」ってやつですね
直感という超私的意識からくる
智慧と力で人生を流れることになります
ということで
もしかすると自分は弱いと
想っちゃっているのかな(常識を疑う)
自分の中に超私的意識ってあるのかもな
だから性強説がきっといいはず
なんて今日想うことができたら
最高っすね(^^)
我が家のみるく

