いつ、どこにいても、その時その時を、楽しくすごしていくことが、生きるための知恵
黒柳徹子の母 門山朝
門山 朝
Cho Kadoyama
生年月日 1910年9月6日−2006年8月16日(95歳没)
随筆家(エッセイスト)、滝川市名誉市民
黒柳徹子の母。
黒柳徹子が小学1年生のとき「落ち着きがない」を理由に退学をさせられます。いろんな物事に興味を持つ徹子の突拍子も無い発言や行動にも優しく見守り、門山朝自身もまた戦時中沢山の閃きと行動力で強くたくましく生きていく姿が、今を生きる現代人に対して強いメッセージのようなものがあるのではないでしょうか。また娘・黒柳徹子も同様に愛に満ち溢れた人であります。
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黒柳 徹子
Tetsuko Kuroyanagi
生年月日 1933年8月9日(84歳)2017年11月現在
女優、タレント、司会者、声優、エッセイスト、ユニセフ親善大使、平和運動家など幅広く活躍。
「絵本が上手に読み聞かせられるお母さんになろう!」と女優になる事を決意。NHK専属のテレビ女優第1号として黒柳徹子の女優人生が始まり、今日までに至ります。『徹子の部屋』で有名な番組は2011年にギネス世界記録に認定(同一の司会者による番組の最多放送回数記録)され、他にも数々の受賞する長寿番組となりました。
Birth number (#33-#6)
Destiny number (#8)
Soul number (#7)
Personal number (#10-#1)
Realization number (#14-#5)
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門山 朝
Cho Kadoyama
■Birth number (#17-#8)〈誕生数。深層意識。持って生まれた資質、性格、個性。生きる姿勢やその人の潜在能力〉
#8【コミニュケーション能力】
#17【シェアして循環させていく】
戦時中、母と徹子と徹子の弟・紀明、1歳の妹・眞理と家族みんなで青森へ疎開します。疎開先でお世話になり続けるのは気が引け、どうにか自立して食べていけないかと考え、夜は得意の裁縫で郡の人達のモンペや衣服を縫ったり、農業組合で働けばキズモノの野菜や古くなって出荷できなくなったものをもらえるのではないかと閃き、昼はそこで働くことになります。そしてその閃きは的中し、野菜や果物に不自由しなくて済むようになりました。また音楽学校に通っていたことで、歌が上手だと評判がたち、宴会に来て歌を唄ってくれないかと頼まれたり、みんなが喜んでくれ、帰り際にはご祝儀の食べ物をどっさり頂いて帰ってきたりもしました。1945年の終戦後は、八戸をはじめ近くの港町をまわり、果物や野菜の行商で生計を立てます。また諏訪ノ平から東京へ行き来し、東京へは八戸でたくさん手に入るスルメを持って売り、諏訪ノ平に戻る際は東京に売っているもので町の人たちから頼まれたものを買ってきてあげるという仕事を月に1回重い荷物をかついでやりました。これが大当たりし大きなお金を作りました。その後、家族みんなで東京へ戻り、東京の新しい家での生活をスタートさせます。
まさに#8の【コミニュケーション能力】#17の【シェアして循環させていく】資質が功を奏しました。
■Destiny number (#7)〈運命数。表面意識。Birth numberで与えられた才能や個性をどう活かしていくか、人生における使命や目的、何を実現していくべきか〉
#7【探究心、洞察力、独創性、自律心、分析力と直観力、鋭敏な知性】
夫・守綱が出兵し、母と徹子、徹子の弟、妹、家族みんなが生きていくためにあらゆる知恵を絞り、自分の得意とすることを朝から晩まで身を粉にして働きました。生きていく術を学び、更に70歳を過ぎてからはエッセイストとして活躍します。本人は自伝著書でこのように語っています。
「いつ、どこにいても、その時その時を、楽しくすごしていくことが、生きるための知恵なのだと、わたしは、つくづく思いました」と。
どんなことが起きようとも生きるために自分の持っている全ての力を出し切った様子がこの一文で伺えます。常に物事に対し洞察力を持って探求・独創し、また直観力にも優れた方でした。自分の力を信じ、自律心を持ち力強く生きました。
■Soul number (#15-#6)〈ソウル数。魂の欲求。根源的なレベルで望んでいること。一番大切にしたい価値観、優先したいこと。強い内的欲求〉
#6【愛、無条件の愛、家族的な愛、外柔内剛】
いつも朝の心には家族愛がありました。代々医師の由緒ある家系の長女として生まれた朝には医師の婿をとることを父は決めていました。しかし黒柳守綱との結婚を父に話すと、父はひどく怒り、それでも親の反対を押し切って守綱との結婚を進めます。二度と家には入れないようにされ、父に勘当される程でした。決められた利己的な結婚ではなく、無条件に愛する守綱への愛を貫き通しました。
■Personal number (#10-#1)〈人格数。社会的な仮面、気づかないうちに身につけた第一印象、他者の目に映るその人の表面的人格〉
#10はカルミックナンバー。一般に恵まれた環境に育ち、苦労の少ない幸福な人生を与えられるが、人生のある時期に全く別の道へ変化する場合が多くみられる。また前世でやり残したカルマや目的を今生で果たすためのナンバーで、人道的な目的や人に癒しを与える方向へ向かうことが多くみられる、ナンバーです。
朝は北海道空知郡滝川町(現・滝川市)で、開業医の父・門山周通と母・三好の長女として生まれます。代々医師の家系と16歳の時に上京し東洋音楽学校(現・東京音楽大学)へ入学することから、一般に恵まれた環境に育ちます。
しかし、在学中に後に夫となる黒柳守綱と出会い、人生が変わり始めます。
#1は【リーダー気質、男性性、絶対性、創造、革新、決断、行動力、活発、現状打破、ピュア】など、親に反対されてもなお、守綱と一緒になることを決断し、一家の大黒柱である守綱が出兵しても、ひるむことなく一家を支え躍進していく姿がリーダー気質そのもので男性的でもあり、それらが合わさり生きる原動力となります。
また子供の心を真っ直ぐに受け止める姿勢や朝本人もまたピュアな一面を持っている『#1』の特徴が随所に見られます。娘の黒柳徹子同様に他に類をみない自分の哲学を持ち人生を貫いた唯一無二の存在です。
■Realization number (#15-#6)〈実現数。誕生数+運命数を一桁にした数。今回の人生での可能性や実現性〉
#6【愛、美、家庭、高潔、深い思いやり、センスの良さ、忍耐強い、平和】
Soul numberと同様の「15の6」
いつも家族愛がテーマです。
とにかく第一に家族のことを考える、徹子がどんなに変わったことをして、どんなに変わった言葉を発言しても、頭ごなしに否定することはせず、いつも温かく見守り、時にはなぜそのような事をするのか、なぜその様な事を発するのかをいつも真剣に考え受け止めてくれ、そこにはいつも温もりがあり、優しく癒しを与えてくれる母親でした。それは夫、守綱に対しても同じでした。
平和的で忍耐強くどんな時も家族を守り、家族はもちろん、親しい友人や周りの方々を大切にする心優しい人でした。
また自分の芸術的才能やセンスを活かし、自分の得意とする分野で才能を開花させる人でもありました。それは裁縫、行商、エッセイストとして開花させました。
人生も後半。70歳を過ぎてから執筆活動を始めた黒柳朝のエッセイストとして書き下ろした殆どの作品が家族や身の周りの人との内容です。愛情深さ、愛が溢れている作品ばかりで、最終的に朝の人生全てが作品になりました。
■その他
Stage (#6)〈活躍する舞台〉
【 真善美 】
愛と共に生きているような、朝自身の生き方そのものが活躍する舞台、輝く場所でした。
疎開先で徹子が栄養失調になっても、その後、朝のあらゆるアイデア、閃きで食べ物に困ることのない生活をします。そして、徹子の栄養失調も治してしまいます。その時、朝は「母親は死ぬ気でこどもを守るもの」と語っています。また、家の中も華やかに飾ることも忘れませんでした。
Challenge (#4)〈挑戦する課題〉
【建設、現実的、正義感、実直、形成】
どんな時も正義感のある中で現実的に物事を分析し、計画を立て常に明るく楽しい生活を送る今後の為の準備、お金、健康、家庭が建設的になるように心がけました。
コツコツと目標に向かって努力し続け、大きな財を成し、戦後は東京の北千束へ戻りみんなで暮らすための一軒家を建てました。それは以前の思い入れのある場所でみんなで暮らすことと、満州に出兵し、シベリアで捕虜になった夫、守綱が帰ってくることを願って以前住んでいた場所、北千束に家を建てました。
Nature (#10-#1)〈自然な資質や本質〉
75歳まで二桁の(20番台を多く含む)人生を歩んできた朝にとって、希望を持てず生きていくのか、それとも希望を持って生きていくのか。その答えは迷う暇もなく後者の一つしかなかったと思います。それは『#1』のmatureそのものでした。
【リーダー気質、冷静、自信家で野心家、大胆不敵、陽気で情熱的、どんな困難な時でも溢れ出る創造力。芯の強い計画力と行動力。そして、何歳になってもピュアな心を持つ真っ直ぐな人】でした。
Action (#2)〈行動特性、行動パターン〉
どんな状況においても#2の特性【平和的で優しい、受容性がありバランスをみながら人を思いやる心、そして女性性を忘れない】それらを持ちち合わせ、困難を乗り越え楽しく活き活きと生きました。
おしゃべりが大好きなトットちゃん(黒柳徹子)の話しもいつも温かく見守るように聞きました。
『 Type Ⅱ 』
〈特質的な能力、又は個性〉
◆Balance -8
後天的にたくさんの資質を経験によって得る
◆Lead 【リーダーシップ 牽引する力や人をどう導くか】
⑥ものごとの理を伝える人、リードしないリーダー、温かさと慈愛に満ちる導き、全ては完璧だと悟り説く人。
→門山朝は家族の縁の下の力持ちの様なリーダーでした。温かさと慈愛に満ちる導きを子供たちに伝え、また娘、黒柳徹子に対しても徹子の存在そのものを否定することなく完璧であると温かく見守っていました。
◆Make Mood 【ムードメーカー 雰囲気をつくる力】
①活気づける力、起爆剤、全体を牽引するパワー、オリジナリティな演出/時に突出
→家族がどんな状況であっても活気づけ、疎開先で暮らしていたリンゴの作業小屋でも、テーブルに調理台、食器棚をリンゴ箱で作ったり、グリーンに染めたシーツにリンゴの木を描き、カーテンのかわりにつるしたり、オリジナリティな演出で疎開先のリンゴ小屋の生活も楽しいものになりました。
◆Intelligence 【知性 知的才能とそれをどう役立てるのか】
⑤俯瞰的&客観的に観て核を捉える能力、有用な直感的判断力、映像により知覚する知性
→娘 黒柳徹子に対して俯瞰的、客観的に観て徹子の能力、資質を失わないよう、直感的判断力で導きました。それが、黒柳徹子自身が次のように語っています。
「小学校一年で退学になるような子ですから ー 省略 ー 落ち着きがない。自分の興味があったら、そっちに走っていっちゃう。 ー 省略 ー 母は、非常に自由に私を育ててくれたのみならず、人格を認めてくれていたっていうことが、あとになってわかったんですね」と。そんな徹子のためにみつけたトモエ学園という、校舎が全部電車の学校。そして、母は徹子が二十歳の時に小学校が替わったことを話します。その時徹子はこう話しています。「『ええ!』って思いましたけど。二十歳のときに小学校一年で退学になったと知っても、そんなショックを受けないんですよね。もし六歳のときにそれを聞いたら、私はトモエ学園の電車を見ても、何を見ても楽しくなかったと思うんですよ。
みんなは、私が退学になっていることを知っているのかな…とか、ほかにも退学の子がいるんじゃないかな…とか、そういうふうに考えたと思いますけど、そういうことは何も思わなかったから」と話しています。
同じような学校に転入させなかったことも、また女優になるきっかけをつくったのも朝であり、娘 徹子の能力、才能、個性を見据えて、朝自身の俯瞰的、客観的に観て核を捉える能力があったからこそ、今の黒柳徹子が存在するのではないかと思います。
朝の才覚がなければ今日までの長寿番組を任される好奇心旺盛で、ユニークな語り口、豊かな発想で人々を魅了する、黒柳徹子は誕生していなかったのかもしれません。
《 History 》
0-28歳
Cycle 9
Pinnacle 15-6
Challenge 3
◉精神的な成長、変容と解放、ドラマチックな時期(サイクル)で、真善美の要素に表現力、感性、直観力を惜しみなく世の中のために使うパイプを創ること、そして視野の拡大と楽観して楽しむことが課題となります。
これまでの家族、門山家との問題、そして、これから始まる新しい家族である黒柳家としての家族との関わりから沢山のことを経験し学び、それは朝の変容と解放、精神的成長に繋がる時期だったのではないでしょうか。
また父に勘当されるまでに至った夫 守綱との出会い、結婚はある意味ドラマチックな時期ともいえるでしょう。
◆1910年9月6日(#17-#8)
北海道空知郡滝川町(現・滝川市)で、開業医の父・門山周通と母・三好の長女として生まれる。
◆1923年(#20-#2 〜#15-#6)
岩見沢高等女学校(現・北海道岩見沢西高等学校)に進学し、4年間の寄宿舎生活を送る。
◆1927年(#15-#6)
音楽教師の勧めにより、1927年に上京し東洋音楽学校(現・東京音楽大学)声楽科入学。
◆1928年(14周期/#16-#7or#17-#8)
在学中にベートーヴェンの『第九交響曲』の演奏会を共にして、知り合った新交響楽団(NHK交響楽団の前身)の首席ヴァイオリン奏者・黒柳守綱と出会い付き合う。
◆1930年(#19-#10-#1)
アパート『乃木坂クラブ』で新婚生活を始める。
◆1933年8月9日(#21-#3)
長女・黒柳徹子を出産。
◆1936年11月3日(15周期/#16-#7)
長男・明兒を出産。
29-37歳
Cycle 6
Pinnacle 17-8
Challenge 4
◉この時期は家族愛と家族の問題から内面の強さを養うことが大きなテーマとなります。愛する夫、愛する子どもとの出会いと別れ、喜びと悲しみの両極端を味わうこととなり、戦争が始まることで苦しい生活を強いられます。それと同時に#8の【コミニュケーション能力】#17の【シェアして循環させていく】要素が大きな力となり、また安定を手にする為の土台(基盤)づくりのチャレンジが始まった時期でもありました。
◆1940年(朝29歳-#19-#10-#1)(徹子6歳-#21-#3)
◉ターニングポイント◉
娘 徹子、入学したばかりの小学校にて。窓ぎわにチンドン屋さんが通ると大きな声で話しかけたり、机のふたを何度も開けたり閉めたりします。しびれをきらした学校側は「落ち着きがない」を理由に退学を言い渡します。母 朝は、徹子に合う学校を探していたところ、知人が紹介してくれた自由が丘にある『トモエ学園 』に徹子を連れて行きます。そして、そこで恩師小林校長先生と出会います。
登校初日「何か話したい事はある?」と校長先生から言われ、そこから4時間ずっと話したい事を話し続けた徹子。話すことがとにかく大好きな徹子は、着ていた洋服の襟の話をしたあとで「もうこれ以上話す事はない!!」と初めて思ったそうです。
「君は本当はいい子なんだよ」という小林校長先生の言葉。
「話をたっぷり聞いてくれた校長がこの言葉を言ってくれたおかげで、萎縮せずに学校に通えた」と語っています。そして、こんなに話を聞いてくれる大人はいい人に違いない!!と思い、信頼感が生まれたそうです。
また校長は「みんな一緒だよ、一緒にやるんだよ」とも言っています。
トモエ学園では、その後の人生で常に徹子の根底にある「『みんな一緒』ということを植え付けられた」と言います。障害者も多く通っていた学園では、手伝うという事ではなく、「みんな一緒にやるんだよ」という事が普通だったそうです。
これが徹子のイヤーサイクル#21-#3からも読み取れるように、後にユニセフ親善大使となり、世界で活躍する黒柳徹子を誕生させた始まりであります。#21『世界を救うナンバー』。#3トモエ学園は黒柳徹子にとって、本当にのびのびと楽しい学生生活となりました。
◆1940年 次男 紀明 出産。
◆1944年4月19日(#23-#5) 次女 眞理 出産。
◆1944年(#23-#5) 長男 明兒が敗血症で死亡。
◆1944年(#24-#6) 夫が満州へ出征。
◆1945年(15周期/#24-#6) 3月10日の東京大空襲をきっかけに青森県三戸郡の諏訪ノ平へ疎開し、八戸への果物や野菜の行商で生計をたてる。
◆1945年(16周期/#16-#7) 終戦後、諏訪ノ平から東京への行商で生計を立てる。
38-46歳
Cycle 6
Pinnacle 5
Challenge 1
◉引き続き家族愛が大きなテーマとなります。
自由に形になったものをさらに外向きに活発化させるべく、夫 守綱がシベリア抑留から帰還しても仕事を続けます。戦前は守綱の愛が強すぎるあまり、守綱が仕事から帰るまで家の中に居させ、外出させないようにしていました。しかし、この時は違います。活動的に行商を続ける朝がいました。この時期の課題でもある【独立、自分の創造性を表現していくこと】→「どう生きていきたいか?」に対して身近な一歩を踏み出した時期でもありました。今振り返れば、先を見据えて種まきや構想を練っていたのではないでしょうか。
◆1949年末(#20-#2)夫がシベリア抑留から帰還、東京交響楽団のコンサートマスターに就任。夫が帰国後も行商を続ける。
47歳〜
Cycle 11-2
Pinnacle 20-11-2
Challenge 7
サイクルが#11に入り、またピナクルも#20-#11に入りました。#11は高い芸術性、天才的な能力を持ち、理想に向かう揺るぎない意志と共に人生も後半も後半、70歳を過ぎた頃、自身の自伝エッセイを執筆し始めます。また#20はオーナー数でもあり、夫 守綱が先にあの世へ旅立つと一気に随筆を進め多くの本を世に送り出します。
#7の【深い自己認識と独創性】を自分の中に留めておくことをせず、自分なりの哲学をより多くの人に、心を解放し分かち合うようにして課題を一気に進めました。死後直後も出版するなど伝えたかった事がたくさんあったことでしょう。
◆1957年(#19-#10-#1)47歳の時に三男・貴之が誕生。日本基督教団鎌倉雪の下教会員になる。
◆1982年71歳(#25-#7)『チョッちゃんが行くわよ』初の自伝エッセイを4月号から10月号に連載し、随筆活動を開始。
◆1982年12月1日(19周期/#26-#8)自伝エッセイ『チョッちゃんが行くわよ』は自らの子育てなどをユーモラスな語り口で綴った同作は主婦と生活社より刊行されると話題となり、ベストセラーとなる。
◆1983年4月30日(#26-#8)夫 守綱 死去。
◆1985年5月1日(#28-#10-#1)『チョッちゃんだってやるわ』(朝日新聞社)
◆1986年9月1日 (2周期/#2)『バァバよ大志をいだけ』(主婦と生活社)
◆1987年4月(#3)ベストセラーとなった自伝『チョッちゃんが行くわよ』はNHK連続テレビ小説『チョッちゃん』としてドラマ化された。
この頃、自分らしく生きるのが難しいとされる二桁、特に20番代も終わった二つ目の一桁、#3でした。
◆1987年7月1日 (#3)チョッちゃんのここまで来た道(講談社)
◆1987年9月1日 (#3)チョッちゃんの心はいつもコロンブス(主婦と生活社)
◆1990年8月1日 (#6)トットちゃんと私(主婦と生活社)
◆1991年10月1日 (#8)花があったからいつも倖せだった(文化出版局)
◆1992年7月1日 (#8)チョッちゃんの私は心の花咲かバァバ(角川書店)
◆1992年9月1日 (#8)魔女っ子チョッちゃん―旅のまにまに(主婦と生活社)
◆1993年6月1日 (#9)自伝『チョッちゃん物語』(金の星社)
◆1996年3月20日(3周期/#3)『チョッちゃん物語』アニメ映画化。
◆2006年8月16日(#4)心不全のため東京都内の病院にて死去。95歳でした。それは二桁から一桁に入った時でした。翌9月1日には、長女・徹子が聞き手となり子育てや家族について述べた最後の著書『チョッちゃんは、もうじき100歳』(主婦と生活社刊)が刊行されました。
#5の『自由や変化、旅立ち』を目前に、娘、徹子との対談の著書を#4の『安定や固定、信頼や現実』といった形で残し、新しい世界へ旅立っていきました。challenge#4の集大成とも言えるこの人生の終わり方が死の直後まで家族のために書き続け努力した形を残すところが、愛のある朝の人生を力強く生き抜いた朝らしさなのかと思うと、とても感慨深いものがあります。
【 最後に 】
当初、私は黒柳徹子さんに興味を持ち卒論に取り掛かっていました。しかし、黒柳徹子さんを知れば知るほど「黒柳徹子さんのように個性を前面に出し、明るく人生を謳歌し、誰も真似できない唯一無二の存在である人をどのように育ててきたのか」ということが気になっていきました。母である門山朝さんのことを知ることが黒柳徹子さんを知ることでもあるのではないかと思うと同時に、私も1歳児の幼い子を持つ母親として、私自身の子供や家族に対する接し方、想い方、人生の歩み方の要所要所がどこか門山朝さんと重なるところがあり、どんどん朝さんの魅力に惹かれていきました。
朝さんが72歳の時、最愛の夫が他界します。やっと自由になります。そして、「パパとは天国で逢えなくてもいい」と徹子さんに話します。
一見すると冷酷にも聞こえがちですが、私はある意味これまでの人生、夫のために尽くし支え愛し切ったからこそ、出てきた言葉ではないだろうか、と思いました。
そして、「私が本当にやりたかったことはなんだろう。そうだ、海外に住むことが夢だった」と考え、即座に実行します。夫が亡くなり、これからは自分で稼がなければならないという意識。黒柳徹子の母なんだから、十分経済的に支援してもらえるだろうと世間は思います。しかし、「娘に頼ってはいけない」「娘の七光りで恥ずかしい、でも食べていかなければいけない。とにかく娘に迷惑をかけないように」と、無力な自分の心のうちをある著書で正直に語っています。
自分の哲学を持ち70歳を過ぎてから始めた執筆活動を機にアメリカやカナダ、ロンドンでの講演旅行や日本各地での講演会。在留邦人や教会の奉仕をし、アメリカでの生活。数多く海外にも行っています。
私自身、まだまだ朝さんに及ぶはずもありませんが、この卒論を通して、朝さんから学ばせてもらうことをここで終わらせるには勿体ないとさえ感じました。
95歳までパワフルで活動的だった朝さんは自分の持っている数秘からのギフトを全て出し切ったかのように人生を謳歌し、力強く生き抜きました。最後は黒柳徹子さんと「じゃあね!」と別れて次の日にお亡くなりになったぐらい、95歳まで元気な人だったそうです。さすが、『Birth Number#8』ですね。
「いつ、どこにいても、その時その時を、楽しくすごしていくことが、生きるための知恵」
朝の優しくも力強いメッセージ。謳歌した人生を生き抜いた黒柳徹子の母、門山朝の思い(哲学)がここにあります。
チョッちゃん、トットちゃん
門山朝さん、黒柳徹子さん
ありのままの姿で真っ直ぐに生きてこられたお陰で、後に生きる者として本物の愛とそこから沢山の気づきを頂くことができました。心から感謝しています。いつか私は黒柳徹子さんにお会いしたいと思っています。もしも叶うなら、お話ししてみたいです。
いつ、どこにいても、世界中の人々が愛と感謝と幸福を感じ、それをまた伝えられる平和な世の中でありますように。
この世に愛を学びに来た者より
Reported by AIONS Numerology Basic the 13th class
Be.j Eri at Jiyugaoka class.










