糸井 重里

(いとい しげさと、1948年11月10日生まれ)

日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家。

株式会社ほぼ日刊イトイ新聞の代表取締役。

奥様はソフトバンク社のCMに出演している樋口可南子さん。

日本モノポリー協会会長、血液型はA型。

 

◇◇◇ Birth(Root)Number #7 ◇◇◇ 

 

生きる姿勢や才能・その人の持つ潜在能力など

 

1948年11月10日、糸井さんは栃木県で生まれました。(イヤーサイクル#25)

誕生後すぐにご両親が離婚・・・当時、司法書士をしていた父親が糸井さんを

引き取り、糸井さんは祖母に育ててもらい大きくなってゆきました。

#2と#5という風に考えてると、大きく変化することを受容するしかなかった

そんな幼少期の幕開けだったようです。

名前の重里は、スタンダールの小説「赤と黒」の主人公であるジュリアン・ソレルにちなみ、ジュリアン→ジュリ→重里・・・というなんともロマンチックなエピソードがあるようです。推測ですが、この名前を付けたのはおそら司法書士を生業としながらも、ロマンチストであった糸井さんのお父様で、糸井さんのロマンチストはきっと父親譲りのものではないかと思います。

 

若い頃から大きく表現をすることで社会と関わってきた糸井さんは、#7の特性を大いに生かしているようです。鋭い洞察力と直観力を持ち、時流をうまくとらえながら、糸井さんが持つ独創性により、「いまよりもっとよくするには、おもしろくなるにはどうすればいいのか?」ということにたいして真面目にひたむきに取り組んでいるように感じます。

凝り性なので、こう・・・と思ったものに対しては妥協せず持ち前の探究心と内に秘めた情熱で自身はもちろんのこと、糸井さんに関わる人の才能まで開花させてしまうほどの推進力を持っている・・・そんな風に感じるのです。

 

もともと知的で内省を繰り返していたであろう糸井さんは、精神主義的な面を大事に考えていましたし理想高い一面あるようです。たくさんの死者が出た60年代安保の共闘運動では何度も逮捕された経歴をお持ちです。当時所属していたグループの中心人物の1人であった思想家の吉本隆明氏からは大きく影響を受けたようで、後に何度所も行った対談や、吉本氏の著書についてのコラムなど、精神世界への真摯な姿勢を感じることができます。

 

けれど、そんな豊富な知識や様々な知恵や理想などを、眉間にシワを寄せたしかめっ面で叫ぶのではなく、親しみを持ってより優しく、人々に寄り添いながら、たくさんの人々に癒しや幸福感を届けているように感じます。だからこそ糸井さんは少年のようにピュアなご自身の探究心と推進力で人々を未知の領域へとぐいぐい引っ張っていく力を発揮し共感を呼んでいるのだと思います。

 

◇◇◇ Destiny Number #3 ◇◇◇ 

 

人生における使命や目的・何を実現してゆくか

 

#3の糸井さんの最大のミッションは表現することによって

人々に精神的な喜びを与えること・・・未知なる光を投げかけること。

時流に乗る仕事が向いている糸井さんは、若い頃はコピーライターとしてたくさんの有名なキャッチコピーを発表し世間から注目を浴び数々の賞も受賞しています。その後も執筆活動や、アーティストへの作詞提供、そして「東京糸井重里事務所」は現在の「ほぼ日刊イトイ新聞」へと社名を改めてからも、たくさんの企画やサービスを発表することによって、人々の生活に笑顔やうるおいをもたらしているといえます。

どこか懐かしい・・・なぜか優しい気持ちになる・・・心がほっとする・・・見ていると自然とそんな気持ちになれる「ほぼ日」のWEBページは、おもてなしの気持ちが人一倍強い糸井さんだからこそ、そこで働く人々に対しても、深く大きな愛が根底にあるのではないでしょうか・・・。その愛がWEBページを通じてでも見ている私達にまで伝わってくる・・・だからこそ1日のPVが7けたにまでなるのだと感じています。人々を和ませ、癒し、勇気づけリードまでする・・・それが糸井重里さんなのです。

 

◇◇◇ Soul Number #9 ◇◇◇

 

魂の欲求・一番大切な価値観・優先したいこと

 

思いやりが深く相手を包み込む大きな愛で、絆の深い結婚をしました。

結婚後すぐにお子さんを授かりますが、同じ頃、女優の樋口可南子さんと

不倫の関係になります。人気・実力もあり、影響力が強い人なので不倫は大きく取りざたされました。そんな中、糸井さんは報道陣に対して不倫を認め「妻も不倫を容認しており、樋口可南子さんも不倫関係に納得している。」と語り「公然不倫」という状況で世間を驚かせました。

これはまだ当時小さかった糸井さんの一人娘が大きくなり、状況がわかるようになってから樋口可南子さんと一緒になりたかったそうで、その結果が10年以上の不倫ののちの結婚となったようです。

結婚しお子さんを授かった奥さまとの愛は、おそらく糸井さんにとって本当の愛ではなかった・・・。そのことに気付いてしまった糸井重里さんは、10年というたいへん長い時間、お嬢さんを愛しその成長を見守ります。「あんだ」というハンドルネームで現在糸井さんが代表を務める「ほぼ日」のWEBサイトに時々登場するそのお嬢さんは、糸井さんと現在も良好な親子関係だそうです。

糸井さんと樋口可南子さんとの間にはお子さんがありません。このことでも、関わった人達みんなの幸せを考えての結婚生活なのかもしれない・・・と糸井さん一ファンとして思っているのです。

 

 

◇◇◇ Personarity Number #3 ◇◇◇

 

他者の目に映るその人の方面的人格

 

糸井さんは、その数の持つバイブレーションの通り・・・思いっきりご自身の人生を

謳歌されているように見えます。毎年使うご自身の手帳の一番後ろのページに

今年1年の目標として「人の悪口を言わない」という一文を長年したためてきたそうです。

ずっと人には内緒にしていたそうですが、なかなかこの目標を達成することができないようで

「毎年そんな風に目標としているんだけど、簡単なことのようでなかなか目標を達成することができないんだよな・・・。だからもう言っちゃう!」と先日このことをご自身の持つWEBページにて公言しました。そこで糸井さんはこんな風にもおっしゃっています。「もしもぼくが人の悪口を言っているところを見かけたら、あ!糸井の野郎、人の悪口言わないって言ったくせに、言ってるじゃんか!」と心の中で後ろ指さしておいてください・・・と。このことからもわかりますが、糸井さんは人間が大好きな人だといえます。だからこそ自然と人が集まってくるのだろうし、10年も不倫をしていたのに人気者なのだろうなと思います。影響力が大きいいい年こいたおじさんなのに、このお茶目さやユーモアが人の垣根をとっぱらうエッセンスなのでしょう・・・楽しく世の中を照らし、人々に幸せや癒しを届けてくれる糸井さん・・・ご自身が存分に創造力を発揮することで豊かさを受け取る・・・#3という数のバイブレーションをそのまま生きているように感じます。

 

◇◇◇ Realization Number #1 ◇◇◇

 

人生の到達点

 

あふれる創造力・行動力・計画力を駆使して、代表を務める「ほぼ日」に

全力投球している様子は、日々の更新を楽しみにしている読者はもとより

そこで仕事をするスタッフや取引先の人間までをも巻き込みながら刻一刻

新しいステップへと階段をあがっているようにみえます。

 

日本中の人々が絶望的な景色を目の当たりにし、己の無力さを思い知った、あの東日本大震災があったそのとき・・・。

糸井さんは直ちに、冷静に、大胆に、情熱的に、困っている人達のために僕には何ができるのか・・・・・・ピュアな気持ちを未来へと向けて、東日本復興支援の取り組み「セキュリテ被災地応援ファンド」を「ほぼ日」のWEB内に立ち上げました。

 

全てを失い絶望をする人々・・・再建しようにも先立つものがなくて立ち往生している人々への企業再建への呼びかけ、そしてその人達をファンドという形で応援してくれないか!というファンド参加者募集による人々への呼びかけ、日本中が重たく沈む現状を打破するために、いったい今何をどうすべきなのか?身の丈でできる限りのことを惜しみなくする決断をしたのです。

 

場所はそれまで糸井さんに縁深かった気仙沼を中心とした箇所に限定されてはいますが、それでもどれだけの人がこの糸井さんの声かけによって救われたり、勇気づけられたか、計り知れません。震災から6年で37社に対する全てのファンドは参加人数29,282人により募集総額1,139,040,000円のところ、調達金額は1,096,490,000円となっています。

知っている人は知っている・・・美しい国日本で美しく生きようとしている糸井重里さん・・・カッコ良すぎてしびれました。

今まで誰もなし得なかったこの大きなうねりは、きっと現在を生きる若者の心にも「人と人の言葉の力を信じることの素晴らしさ」が伝わったのではないでしょうか。

だからこそ、糸井さんと同世代の私達だけでなく、若い世代の人達からも大きな支持を受けているのだと思います。

 

糸井さんが代表を務める「ほぼ日」では、WEBサイトを通じて様々な企画を行っています。

とくに日々の暮らしを大切に考えている人には、糸井さんのセンスを感じる「衣食住」の世界はきっと心にしっくり馴染んでくると思います。絶対的なリーダーとしての今後の表現活動からはまずます目が離せなくなるような気がします。

 

 

 

 

 

【 年代ごとに見たナンバー 】

◇◇◇ 0歳から29歳 ◇◇◇

 

サイクルナンバー#2 ピナクルナンバー#3 チャレンジナンバー#1

 

物静かで平和的な糸井さんは、複雑な家庭環境の中でも育ての親である祖母を常に優しく気遣いながら、大きく道を踏みはずすこともなく、冷静に鋭い洞察力で自分を取り巻く環境をこどもながらに噛みしめながら、自己への認識を高めていったのではないでしょうか。

9歳の頃、父親が再婚したときのサイクルナンバーは生まれたときと同じ#25・・・おそらく新しい母親が家族に加わることによって、自分を取り巻く環境が劇的に変わってしまう現実を、ただ黙って受け入れることしかできない・・・それでも、知性と探求心溢れる少年は大きく道を踏みはずすこともなく育ち、中学生の頃には漫画に、高校生になった頃には文学にのめり込んでいき、その頃から読み物の中で自分を大きく開放することによって、精神の充実を高め独創性を養っていったのではないかと思います。

この人間として多感な時期に、様々な絵や言葉、文章を見て読んで感じることこそが、後に大きく表現をしてゆく為の素地となり得る受容の時代・・・・・・即ち土を耕すかけがえのない大事な時間になったのだろうと思います。

父親が司法書士をしていたので、貧乏とは無縁の生活ではあったでしょうが、どちらかといえば複雑な家庭環境での日々の暮らしはきっと糸井さんにとって「受容する」という大きな学びにつながったのではないでしょうか。全てを受け入れるかどうかは別として、すべての出来事を拒絶しない・・・・・そんな覚悟を持っているような糸井さんのベースは、この頃から少しずつ心の中で形づくられていたのではないでしょうか。。。

 

◇◇◇ 30歳から49歳 ◇◇◇

サイクルナンバー#1 ピナクルナンバー#5 #8 チャレンジナンバー#3 #2

 

常に時代をリードしながら社会に大きなムーブメントを巻き起こしていた時代です。

任天堂から発表したゲームソフト「MOTHER」ではカルト的なファンを生みました。

この頃、樋口可南子さんと結婚をされ、環境は大きく変化しながら調和への歩みを進めます。

実行力はさらに大胆に、そして成功への階段を着々と上りながら、大きなことを達成するための理想を頭の中に描きながら、たくさんの人たちと深く関わり人脈を広げていきました。

メディアへの露出度も高く「ガキ使のバス釣り大会」には必ずと言っていいほど出演し、お茶の間に糸井さんを知らない世代の人達にも認知されることになりました。

また、「ニュースステーション」巨人ファン代表として「もしも巨人が優勝を逃したら、六本木の街を

褌一丁でランニングする!」と公言・・・実際に恥ずかしい姿でランニングするはめになりました。

いい年をしたおじさんのお茶目なその行動は、巨人でなくても微笑ましく思える一幕であったし

またつい勢いでした口約束をきちんと守るあたり、責任と義務をしっかりと果たす#8そしてその約束を守ることで人々を和ませる#3そして日本中の巨人ファンをリード#1していたのではないでしょうか。

【 50歳~    】 

 

サイクルナンバー#4 ピナクルナンバー#6 チャレンジナンバー#2

 

50歳#12の年に「ほぼ日刊イトイ新聞」のWEBページを開設以降、精力的に様々な分野での情報発信に力を注ぎます。事業は社会と調和をはかりながら、拡大してゆき、組織も大きくなってゆきます。当然スタッフも少しずつ増えてゆく中で、価値観も大きく異なる若い世代の人たちを受容しながら、教育的なことも行っています。組織自体は安定してきますが、軌道修正をしながら社会から絶大な信頼を勝ち得た時代です。

 

前述した吉本隆明氏がお亡くなりになったのち、「吉本隆明183の講演」というコーナーを公開。

そこには・・・

「<フリーアーカイブ>183の講演・・・合計21,746分の吉本さんの声をここに集めました。無料無期限で公開します。いつでも自由に何度でもお聞きください。このように言っています。」

さらに一般の方にその講演の文字起こしへの協力者を募り、少しずつ文字起こしが進んでいることは、精神世界へのいざない役を引き受けたようにも見えます。バース#7の糸井さんの精神主義的な面が強く出ているのではないでしょうか。もちろん、吉本氏のふたりのお嬢さん、漫画家のハルノ宵子さんと作家の吉本ばななさんの協力あっての企画です。80年代の消費社会に対して肯定的な考えで共通していた吉本氏と糸井さんは、何年もの長い時をかけてそれぞれが探求してきたものをシェアする・・・そしてそれを吉本氏がお亡くなりになった現在も自分なりに表現することでライフワークのひとつにしてゆこうと考えているのではないでしょうか・・・。

 

メディアへの露出は決して以前のように多くはありませんが、それはきっとご自身の中でお仕事を請けるかどうかのフィルターのようなものを作って無駄な露出を省いているのではないでしょうか。カメラに向かって話しかけるより、なんとなく人の気配を感じる「ほぼ日」からのアナウンス、ライブ会場、展示会場、その他色々な場所で、人と人をつなぎながら、信頼関係のネットワークのようなものを作ろうとしているのではないかと感じる昨今の糸井重里さんです。

 

「ほぼ日」には一般の人が投稿できるたくさんのコーナーがあります。たくさんの人の言葉や体験、またその想いなどを受け止め、一緒におもしろがったり悩んだり・・・そんなすべての人に対して大きく心を開き受容する様子に抜群のバランス感覚を感じます。お年を重ねていくにつれてコーディネーターや教育者としての役割が大きくなってくることと思いますが、いつまでもそのお茶目さが健在であることを願ってやみません。

 

 

タイプⅡから・・・

Creation 

#6 完璧な均衡と美、想像の炎、崇高な理想美、完全主義的創造、一方でサロン的な温かさ

 

Grouth

#1 建設的な創造エネルギーを社会に向けて発信する、精神的安定と自己信頼を学ぶ

その後は教師的役割

 

Maturity

#2 感受性の鋭さ、集団意識と同化しやすい

 

Lead

#2 カウンセラー、影の参謀、力持ち、支えながらの指導、支援という姿勢、

   相談相手のしょうなリード、リードしないリーダー

 

Support

#3 セラピスト、ヒーラー、表現者、アーティスト、自己と相手の波動を合わせることで相手を癒す

 

Make Mood 

#4 秩序や規則に即した環境の設定、全体の統率と管理、計画力と持続力のための提案

 

Body

#4 医療、施術者、鍼灸、地道な訓練(スポーツ選手)リラックスや呼吸法の太極拳やヨガ

 

Emotion

#1 創造の爆発的エネルギー、改革者、こどものようなピュアさ、

 

Inteligence

#4 有能な構成能力、分析能力、明晰かつ俯瞰的視点、コツコツと粘り強く確実に課題をこなす

 

というデータから、糸井さんがライフワークとしている「ほぼ日」で上記のそれら全てが表現されているように感じてなりません。

現在、ほぼ日のWEB内には本当にたくさんのコンテンツがあります。衣食住はもちろんのこと、若い世代のことを考えてのことなのだろうと感じる仕事や生き方や哲学のこと、各界で活躍する方々のコラムや対談、地球環境のことそれはあらゆる分野において完結を目指しているようにもうかがえます。

 

 

 

 

1948年

 

1957年

1961年

1964年

1967年

 

1968年

1969年

 

1971年

 

1973年

 

1975年

1976年

1978年

1979年

 

 

 

 

 

1981年

 

1982年

 

1984年

 

 

 

1985年

1989年

1991年

 

1993年

 

1998年

 

 

 

 

 

#25 

 

#25 

#20 

#23

#26

 

#27 

#19

 

#20

 

#23

 

#25

#26

#28

#2

 

 

 

 

 

#4

 

#5

 

#7

 

 

 

#8

#3

 

 

#7

 

#12

 

 

 

 

糸井重里 糸井家の長男として誕生(群馬県前橋市)

誕生後すぐに両親が離婚しおもに祖母に育てられる

父親が再婚する

中学校時代 漫画に熱中する

高校時代 文学に目ざめる

大学に入学するも中退 学生運動に参加し吉本氏と出会う

理想へ向けての表現で現実に何かが起きる・・・逮捕

デザイン事務所「サムシング」に就職

栗田工業主催 TVCFアイデア賞銀賞受賞

感性と直感が冴えた年

     〃    金賞受賞

さらに霊性を高め力を発揮

「サムシング」倒産 そのままフリーランスへ

大きな変化の年

コピーライターズクラブ新人賞受賞

ペンギンごはんシリーズの発表開始

矢沢永吉「成りあがり」の構成&編集

沢田研二の「TOKIO」作詞

スナック等でのちり紙やマッチ芸「スナック芸大全」処女出版

「東京糸井重里事務所設立」

学びと自立の年

美大生だった「みうらじゅんいち氏」が事務所に頻繁に出入りし

デビューのきっかけになる

一般女性と結婚し同年に娘誕生

結婚して安定するはずだが・・・

NHK「YOU」の司会に抜擢される

変化を楽しむ年、機敏と柔軟さで司会を

樋口可南子との不倫発覚

筑紫哲也との対談集で「自分は“場所を作る存在”でその場所で

みんなに遊んでもらえればいい。」と発言している

自身のあり方や可能性拡大について探求

 

「YOU」終了

ゲーム制作「APE」設立“MOTHER”シリーズ発表

創造力開花

樋口可南子と結婚

絆を深める年

「ほぼ日刊イトイ新聞」開設 

これ以降、ほぼ日運営がライフワークの中心となり現在に至る

 

 

 

◇◇◇ 卒業レポートを終えて・・・ ◇◇◇

 

私が糸井重里さんをはじめてきちんと認識したのは、1982年4月から3年のあいだNHKで放送されていた「YOU」という番組です。その当時に視聴者などの一般の人が参加するテレビ番組は、「のど自慢」や「クイズ」などがそのほとんどでした。若い世代の男女があるテーマについて真剣に語り合い、時には参加者同士が激しく言い合う、涙する、顔をくしゃくしゃにして笑う・・・スタジオの中にさわやかな風が吹いているように感じるその「YOU」という番組がたいへん新鮮に見えました。

そしてその司会者として、たくさんの若者の心の扉をたたき、それぞれの個性を大いに認めながら、へんな小細工をせず番組を展開してゆく愛のある司会者ぶりを見て「世の中には、こんな風にステキな大人がいるんだ・・・そして、こんな風に自分を強く主張できる若者がいるんだ・・・」と心を打たれたのです。

きっと、生まれてからずっとふたけたのイヤーサイクルで生き続けてきた糸井さんが、はじめてひとけたのイヤーサイクルになったことで、糸井さん自身が新しい世界へ突入してゆく、それが風のような気配を醸し出していたのではないでしょうか?

 

それ以降、糸井重里さんは私にとって気になるお兄さん的存在となり、その後も、追っかけるほどではありませんが、徳川埋蔵金や元気がボキャブラ天国、ダウンタウンとのバス釣り大会など、テレビに出ていると気になってしまい、その姿を目で追ってきました。

 

糸井さんが取締役を勤める、ほぼ日刊イトイ新聞で行っている様々な企画や取り組みついても、心から共感できるものばかりです。きっとそれは糸井さん自身が自分のあり方を常に美しく保っていたい・・・そんな風に考えていらっしゃるからなのだと思います。

 

糸井さんは私がまだ若かりし頃に「美しく年を重ねて生きたい」という漠然とした夢を描いていたことを思い出させてくれる数少ない有名人です。その糸井重里さんを今回リーディングすることによって「逆らわずに生きたなら、これほどまでのことができ得るのだ・・・」ということ、また「魂が喜ぶことをすることがどんなことになってゆくのか」・・・と改めて実感することができました。

今後の自分の在り方について、投げ出さずに一歩一歩進んでいきたい・・・そんな風に自分自身を大事してあげよう・・・そう思えた卒業レポートになりました。

 

ちょうど人生の転換期に学び始めた数秘の基礎・・・川越12期クラスの講師なおみさんと一緒に学んぶことになり出会った皆さんから、たくさんの気づきと勇気をわけてもらいました。

心からお礼を言わせていただきます。お世話になりました。そしてありがとうございました。

 

Reported by

AEONS Numerology Basic the 12th class

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