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星野道夫 

Michio Hoshino 

1952年9月27日生

 

Personality

 

誕生数  8 35

3の楽しさとから始まったことを変化させていく 自分の力を信じてより高くより新しい可能性を開拓していく人 開拓した自分のオリジナリティーが8の持つ循環で自分だけでなく他者をも豊かにしていくことのできる人 向上心と直感力で現実を変えていく力があります。

5の持つ好奇心を知恵に変えて行くことができれば8の繁栄は約束されています。 変化は不安定と表裏一体なので、不安定さをどう克服していくかも彼の課題でもあったかもしれません。 

好奇心と情熱!少年のような無垢な気持ちと行動力で果敢に未知の世界に飛び出していきました。そのためにしっかり計画し実行して やりたいことを実現させていきました。

繁栄とは?豊かさとなにか?も彼の命題 アラスカに住んだ17年間の間には、金銭的にはとても大変な時期 試練もたくさん経験したことでしょう。

8は夢想家の数字でもあります。子どものころはくまのいる森 大学生の時はアラスカを夢見ていました。彼はアラスカに恋い焦がれてアラスカにわたり、アラスカでの最後の数年間は神話の世界を夢見ていました。

 

 

子供じみた考えなんですけれども、自分が全くいない、消えた状態で、上からそっとでもいいから、山の中を歩いているクマを見てみたいなあ、と思った。今この瞬間くまは自分とは関係なくどこか山のなかを歩いている。それを見たい。でも自分がそこにいたら、もう出会っちゃっているのだから自分のいない状態でクマは見られない。その自分のいないときのクマを見てみたいという憧れがあって・・・そんな風に思うとなにか現実の世界が漠漠としたものに思われてくる・・・・なんだか子供じみた、それだけの話なんですが・・・               インタビュー記事より

 

 

 

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運命数 destiny number 10-1

創造性豊かに新しい分野を0から構築した分野が人類の霊性を高めていくのに貢献することが、彼の使命。一人で何かをやりとげ、自分の創造性を余すところなく表現すべくうまれついた人 1は決断力の数字 決断力はアラスカでのサバイバルで磨かれていきました。

1の持つ開拓者精神と行動力 計画力で、自分の運命を自分で切り開いていきます。彼の創りあげた世界が、人々の霊性を高めるということでは、まさに彼の写真はそういう写真といえると思います。

人格数 personal number 10-1  

責任感のある人 明るいが、人見知り 性急さと短気な側面 性急さはうまくいくとタイミングを逃さない Pureなかんじ 急に機嫌が悪くなるとか?すごく陽気な面をもっているのに、すぐに落ち込むとか?子供っぽさを残す人だったかもしれません。 (よくも悪くも) 

 

 

このあとの3つの数字はすべて9 

実現数 realization number 9 

いらないものを手放して 自分と他人すべてを許すこと 自分だけでなくそれを超えて、混沌の中から人が自分の道を見つけていくこと 覚醒の道を歩むことを手助けすること 

 

ソウル数  9 内面の声や価値観のめやす

9は博愛の数字 自分の中の崇高さを感じる。 自己回帰して 深い慈悲の心を持ち真我を生きていくこと 悟りとは何か?内的探究をつづけて この世にいて覚醒すること 悟りを経験したい魂 

アラスカの大自然に身を置いたことは  彼の自己回帰の速度を早めていきました。

 

 

 

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☆生きるものと死すもの 有機物と無機物その境はどこにあるのだろう。 

☆目に見えるものに価値を置く社会と見えないものに価値を置くことができる社会の違いをぼくは思った。そしてたまらなく後者の思想に魅かれるのだった。     

☆ぼくは人間が究極的に知りたいことを考えた。1万光年の星のきらめきが問いかけてくる宇宙の深さ 人間が遠い昔から祈り続けてきた彼岸という世界、どんな未来へ向かい、何の目的を背負わされているのかという人間の存在の意味・・・・・そのひとつひとつがどこかでつながっている気がした。                        森と氷河と鯨より

 

 

ステージナンバー 9 活躍の舞台

これも9番 

人類愛 地球愛 宇宙愛 全体意識に貢献していく  人類を自己回帰 覚醒に導いていく舞台が彼のステージ 

 

 

インタビューの中でこんなふうに語っています。

 

「ぼくは生物学者でも人類学者でもなくて、ごく普通の人間がだれでももつような思いがあって、いってみればどうして人間はここにいるのか?そしてどういう方向に行こうとしているか、ということだと思うんです。人間という種の不思議さ。自分が生きていることの不思議さっていうのかな。そういう意識がいつもどこかにあるような気がします。そういう意味でアラスカを撮っているとなにかが見えてくる。そしてアラスカというところは、その何かが見えやすいのだという気がします。」

 

 

その他

Action numberは2番

人から好かれる彼はアラスカでは割と受け身で何かを頼まれたり誘われたりしていました。

そう言うことがぴったりのタイミングで仕事や写真集につながっていったようです。

 

Challengeナンバーは1-6 7番

なにかを開拓し、それを芸術まで高めつつ、深く掘り下げていくことが彼のチャレンジ!7番は 内省 内的探究の数字です。アラスカでそれも原野に一人でいるのは内的探究の場所としては最適の場所です。チャレンジには成功しているといえるでしょう。

 

資質の中で目立っているのは

Intelligence 5 とても頭がよく知力の高い人 霊的成長を願う人

Maturity 7 集団意識をキャッチできる人でした。

Make mood 5 場の雰囲気を作る力 これがアラスカで生かされてたくさんの人の協力が得られたのでしょう。

 

 

 

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History

 

若年期 9

小学校のころからシートン動物記の<北極平原に野生動物を求めて>という本を繰り返し読み、チコとサメという映画に感動しました。 このころから 北海道にくまがいること そのくまを俯瞰で見たいと願っていました。

 

1964年 12才 2

浅き川も深く渡れ   卒業の寄せ書き

小学生なのになんと奥の深い一言なのでしょう?

彼はもしかしたら、魂的には古老のような人だったのかな?

1968年 16才 5-6

高校入学の年 ヒッチハイクで異国にいくのを夢見てバイトに励みます。 5の冒険心好奇心!この年は彼の意識は外国へと向き周到に計画をたてていたのでしょう。

 

1969年 17歳 6-7

横浜港までヒッチハイクで行き移民船でアメリカに向かいます。約二か月間 アメリカからメキシコ、カナダまでいったようです。6の境界を超えるというのをまさに6でやっています。右脳で動く人だったのがわかります。

 

1970年 17才から18才 7-8

山登りを始める。

 

1971年 18才から19才8-9

慶応大学経済学部 入学 探検部に入部

夏に信州を旅した時、宿泊先のアラスカの絵地図をみて・・・ここにいくかもれないと感じます。

獏然と北へ憧れている時、神田の洋書店でシシュマレフ村の空撮の写真が載っているアラスカという本を見つけます。異国に憧れてすごした10代の完結、9で本当に行きたい場所を見つけ次のステージへの足がかりとなりました。

 

1972年 19才から20才 9-10

大学1年生 留年 アラスカの7つの村に「仕事は何でもします。どこかの家においてもらえないでしょうか?」と手紙を書きます。10はよりよい状況をもたらすための変化の年 彼は情熱にしたがって手紙をかいたのだと思います。 いよいよアラスカへの幕開けの一歩の年でした。

 

1973年  21から22才 10-11

シシュマレフ村から返信がきて、夏に3か月stayする。ニックネームはエスキモーボーイ。

11はイニシエーションイヤーなので、これで彼は運命的にアラスカへの切符を手にいれたのでしょう。

 

1974年  22才から23才 11-3

夏合宿の帰りに 山で友人がなくなる知らせを受ける。しばらく悩んだ結果アラスカに戻ることを決める。11の終わりに友人の死を経験し、やりたいことをやっていこうと決心します。友人の死によって、3の年に視野が広がりました。 

 

1978年  25才から26才 6-7

シアトルの英語学校に入り9月 アラスカ大学野生生物管理学部に入学 このときは合格点に30点たりなく不合格なのを学部長に直談判して入学を許可してもらいました。6で調整して、7で毎回彼が、次のステージに飛躍していくのはすごいな!と感じます。普通なら不合格だと、がっかりしてそのまま日本に帰るところですが、このことは行動力で物事を実現していく8のバイタリティー!

 

1979年から1981年  26才から29才 7-9

大学生活 勉強をつづけながらアラスカ各地を旅する。

自分のテーマを見出す。 最初のテーマはカリブーの季節移動を追う。でした。

アラスカの原野でのサバイバルする力 写真の技術 現地での人脈などのアラスカに根を下ろすための、基礎を完成させた時期 9で完了

1982年  29才から30才 10-11

大学中退 撮影に専念するために大学を中退する。

11で彼はまさしく人生も新しいフィールドへ!

アニマという自然誌にサーモンの写真が表紙に掲載される。マッキンレーとオーロラを初撮影  ここからは写真家 星野道夫としての活動がはじまります。

 

1983年  30才から31才  11-12

アサヒカメラ アラスカ特集号を星野道夫の写真で飾る。 12はコラボレーションナンバーなので日本でサポートしてくれる人が現れたのでしょう。

1985年  33才 5 形になったものがさらに外向きに活発化する時期

11月に最初の写真集 Grizzy  こどものころから夢見ていたひぐま!そのヒグマの写真集を完成 

 

ヒグマは怖いけれど、とても魅力的な存在 その写真集を完成させて感慨深かったことでしょう。アメリカでの出版 ☆もしクマがいなくなったら、確かに夜心配しないでキャンプをできるかもしれないけれども、それはつまらない、寂しい自然だなと思います。 

  魔法のことばより 

 

 

 

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1989年  37才  9

木村伊兵衛賞 写真家の新人に送られる賞を受賞 写真家としては新人ですが、普通の写真家としての活動ここで完結 フェアバンクスの森に素敵な土地を見つけ家を建てる計画 アラスカと日本を往復する旅人としての星野道夫も終了 

 

1990年  38才  10

フェアバンクスに家が完成 旅人としてではなく、10でアラスカの住人としての人生のはじまりです。

夢見ていたアラスカに住める!とてもワクワクした年だったことでしょう。写真とエッセイで、アラスカで感じたことを伝え始めます。

写真集 アラスカ 極北 命の地図、 アラスカ探検記 刊 

 

1991年   39才  11

アラスカ 風のような物語 刊 アラスカ定住日記 イニュニックの連載が始まります。9を伝えるという仕事がいよいよ本格的にはじまりました。

 

1993年  41才 13 破壊と創造 そして新生の年に結婚

お見合いで結婚 撮影にはいつも奥さんを連れていったようです。 過去生での清算?

 

1994年   42才  5 変化そして家庭と向き合う年

長男が誕生 1人から2人そして3人に!

きままで自由な一人暮らしから生活が激変しました。新しい家庭と父という自分に戸惑いつつ、しっかり向きあったのでしょう。

 

1995年  43才  6 調和の年

家庭画報で 「森と氷河と鯨と ワタリガラスの神話を求めて」 というタイトルで写真とエッセイの連載が始まる。子供もできて6の喜び活動する時期 自分の子供の成長を見て、命の不思議さをより感じていたでしょう。そしてとても幸せだったのだと思います。

アメリカ大陸 アラスカ アジアに伝わるワタリガラスの神話に興味を持ち・・・現地に伝わる話を収集するようになりました。

 

1996年  43才  6 献身 

8月8日 シベリア テレビの撮影で行ったカムチャッカ半島で ヒグマに襲われ死去

43才 6の年の終わりでした。6は別れをとおしての強さを問われる年 境界超えの年!その年に彼は三次元の境界を越え光の世界に旅だってしまいました。 

 

 

 

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彼が書いた童話 「ナヌークの贈り物」の中にこんな言葉があります。

 

われわれは、みな大地の一部      

おまえがいのちのために祈ったとき、

おまえはナヌークになり

ナヌークは人間になる。

いつの日か、わたしたちは

氷の世界で出会うだろう

そのとき、おまえがいのちを落としても

わたしがいのちを落としても

どちらでもよいのだ

 

星野道夫は 命は生まれ変わる。だから命をおとすのはどちらでもいいと思っていました。

潔くヒグマに命を差し出したのでしょう。交通事故でなくなるとか、病気でなくなるより・・彼らしい死に方でした。何故なら・・星野道夫を食べたクマもまたいつか死んで大地に還り・・・それと一緒に、星野道夫もまた・・姿を変えて循環していくからです。

 

星野道夫はインスピレーションと8の持つ行動力でやりたいことを実現していきました。 限りない自然の豊かさをアラスカでかんじきり・・ナンバー8と9と1のmissionをしっかり果たした人生でした。 

彼はここにはもういませんが、彼は今でも作品をとおして・・私たちに9の意味を伝えてくれるのです。彼だけでなく、わたしたちも最後に感じたいのは1は9で9は1なのかもしれないとレポートの最後に感じました。

 

最後に星野道夫の好きだった詩 今彼はこんな素敵な世界に住んでいるのかもしれません。  

 

大昔 

人と動物が共にこの世に住んでいた時

なりたいと思えば人は動物になれたし動物もひとになれた

だから時には人だったり、時には動物だったり、互いに区別はなかったのだ。

そしてみんながおなじことばをしゃべっていた。

その時のことばはみな魔法のことばで人の頭は不思議な力をもっていた。

ぐうせん口をついて出たことばがふしぎな結果をおこすこともあった

ことばは急に生命をもちだし

人が望んだことがほんとうにおこった

したいことをただ口にだしていえばよかった

なせそんなことができたのか、だれにも説明できなかった

世界はただそういうふうになっていたのだ

 

 金閣寿夫 「魔法のことば」より

 

                                 

Reported by Naomi Saito

Aeons Numerology Basic 7th class

March 6th 2015