数秘学基礎科の生徒さまによる卒業レポートです。

水木しげる
本名 武良 茂 (むらしげる)
1922年3月8日生
2014年現在 92歳
妖怪漫画家
出版物 ゲゲゲの鬼太郎・悪魔くん 妖怪大百科
鳥取県境港市出身
::::::::::::
<Personality>
Birth16‐7
誕生数16は真理の探究、多くの体験を通して何度も価値観を変えながら、真理とは何かを探究していく。
そして会得した智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊にすること。
Destiny14‐5 運命数
未知の世界の解明とそれを広く啓蒙(けいもう)してくこと
Soul 21-3 魂の目的
精神的な喜びを人に与えること。 人々に未知の光を投げかけること
Personality 11-2 人格数
感情豊かで洞察力が鋭い、繊細で知的、傷つきやすく過敏である。考えや行動性に一貫性がない気分屋。
優柔不断な面もある。思考過多になりやすい。実行力に欠ける。
Realization 12-3 実現数
魂の目的と同じ
Stage 11-2 舞台
人格数と同じ
イメージの世界で価値ある創造物を現実社会で具現化していく
Challenge 7 チャレンジ
運命数と同じ
精神性への目覚め、本来の自分を内省し、精神の充実性を計り、平穏さを保つ。
Nature 9 自然な状態
幅広く人々と交流でき、人当たりが良い。 物腰が柔らかく冷静である。
Action 5 行動パターン
活発で多才。如才なく予想不可能な行動、話しのまとめ役など
<Biography>
◆サイクル16‐7
水木しげる(本名 武良茂)さんは1922年、16‐7の年に武良家の二男として大阪に生まれました。
子どもの頃は両親が忙しかったため、賄い婦として出入りしていた「のんのんばあ」と呼ばれる信心深いお婆さんに育てられたそうです。
後に彼は「のんのんばあとオレ」と言う自伝を出版されていますが、幼少期の頃にのんのんばあが話して聞かせてくれたお化けや妖怪の世界のことが面白くて、楽しくて勉強どころではなかったと語っています。
若年期 Month3 で好奇心旺盛な明るい子ども時代を送ったと推測出来ます。
彼の妖怪漫画家としての豊かな表現力の基盤はこの時期に形成されたのではないでしょうか。
◆サイクル14‐5 <少年期>
1937年22‐4の年 15歳の彼は版画、印刷所などに入社しますが短期間での解雇が何度か続き、なかなか定職につけなかったようです。22と言う金銭面や仕事面などにおいて現実的な問題に直面する年になったようです。この後も入学、就職などを何度か繰り返しますが、5のサイクルの時と言うこともあってか、環境面で大きな変動が見られます。
◆サイクル15―6 <青年期>
1943年19‐1の年、21歳に召集令状が来て、ラバウルに出征します。
19‐1の年は新しい始まり、開始などの時で戦地に赴く彼にとっては、これから始まる壮絶な人生の新しい一歩を踏み出したような年だったかもしれません。
1944年 20-2の年、22歳の年に戦地で爆撃に合い、左腕を失います。
20の年は人間関係と協調性の開発、穏やかさと妥協、種から発芽に至る急速な変容を冷静に見極める年であり、0は霊的な力の影響もあり、左腕を失った彼が、自分の身に降りかかった変化の時をいかに受け容れていくか、そしてまたこの時の体験が彼の今後の運命を大きく変える試練の時になったように思われます。
1945年 21-3の年。ニューギニアの病院で療養した彼は現地人と仲良くなっていきました。
23歳の彼はこの地で暮らしたいと戦地で除隊を申し出ますが、説得され、この申し出は却下され諦めたようです。3の年はより多くを経験し、更なる視野の拡大や開花を楽しむ年で、Nature数9を持つ彼の人柄で現地人と自然に打ち解け、ごく自然な行動だったのかもしれません。
1946年 22‐4の年、24歳の時に復員します。
22は現実的な仕事、お金などの問題に直面します。この年は身一つで戦地から帰国した彼が、これからの日本での生活の基盤づくりや現実的な安定を手に入れるための計画を練る年になり、忍耐と冷静さが必要な年だったと思われます。
1948年15-6サイクルの最後の年の24‐6の年に26歳で美術学校に入り、輪タク業を営みます。
6は愛、美、調和、など内面の成長を目指す時でもあり、この年に美術学校への入学に再度チャレンジした彼にとって、これからの方向性が決まりつつあった時なのかもしれません。
◆サイクル16―7 <壮年期>
1950年、再び巡ってきた16‐7サイクルの年の17‐8の年
28歳の彼はのちにペンネームともなる「水木荘」と言うアパートを神戸で経営します。
8はコントロールが必要な時になります。組織のトップや管理する立場についたり、責任や義務などを学ぶ年になるようです。
しかし、このアパートの経営は3年後の1953年16‐7サイクルの20‐2の年に破たんし、彼は西宮に家を買い引っ越します。同時に戦犯で巣鴨プリズンに拘留されていた兄が出所し、同居することになります。これまで1人で暮らしていた彼が2人暮らしになったのが「相対」を表す2の年であったのも興味深いとこです。
1957年24‐6の年、35歳で単身上京。彼の処女作である『ロケットマン』を完成させます。6の年は出会いと別れ、内面の成長を目指す年。そして内面の強さを養う時期でもあります。
翌年1958年、25‐7漫画家としてのデビュー作として刊行されます。
7の年は内省と探求をしながら才能を開花させる年であり、漫画家としての彼の才能が開花し、その一歩を踏み出す年になったようです。
◆サイクル17‐8 <中年期>
1959年17‐8サイクルの年になり、最初の17‐8の年、調布に家を購入。
8の年は富と力を手にする繁栄の年でもあり、達成の年でもあります。彼がこれまで頑張った証としての成果を手にした年といえるかもしれません。
その2年後の1961年19‐1の年。
彼はこの年に両親のすすめるお見合いで結婚をします。1の年は電撃結婚になる可能性があります。
この後、次々と作品が刊行され、
1965年23‐5の年にメジャーデビューを果たし、講談社児童漫画賞を受賞します。
5の年は形になったものがさらに外向きに活発化していきます。
1966年24‐6の年に『悪魔くん』がテレビドラマ化
1968年26‐8の年、8サイクルの最後の8の年に『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ放映が開始されました。
◆サイクル18‐9 <中年期>
18‐9サイクルに入り、彼の作品は次々とアニメ化されていきました。
1971年20‐2 49歳の年、偶然、再会した戦友と26年ぶりにパプアニューギニアを訪ね、現地人と再会を果たします。以後、何度も訪れ、彼の現地への憧れが強くなっていきました。
◆サイクル19‐1 <中年期~高年期>
1979年から19‐1のサイクルに入り、作品のアニメ化が続きます。
◆サイクル2 <高年期>
1989年から時代は平成へと移り、67歳になった彼に初めての一桁である2のサイクルが巡ってきます。
2のサイクルは人間関係と協調性の開発、芽吹きの時になります。
1990年3の年、『水木しげる画集40年』が刊行
1991年4の年 NHKテレビドラマ『のんのんばあとオレ』が放送。翌年には続編放送。
1992年5の年『カラー版妖怪全集』刊行
1993年6の年になり、ホピ族等のネイティブアメリカンを訪ねたことがきっかけとなり、この頃から「世界の妖怪」を求めて海外へ冒険旅行に出かけるようになります。
◆サイクル3 <老年期>
人生の開花の時を迎え、世界に認められるまでに豊かさを受け取る時期に入りました。
2003年7 81歳の年に「水木しげる記念館」開館。手塚治文化賞特別賞受賞。
2005年9 83歳の年に「妖怪大戦争」映画化
2006年10‐1テレビドキュメンタリーの撮影のため、パプアニューギニアへ
2007年11‐2「ゲゲゲの鬼太郎」の5度目のアニメ化、 「総員玉砕せよ」のテレビドラマ化
2008年12‐3 鬼太郎生誕40周年を記念し、「墓場鬼太郎」の初のアニメ化。
「水木しげる妖怪道五十三次 妖怪と遊ぼう」展が、アメリカ・ワシントンDCにて開催。
「ゲゲゲの鬼太郎 千年呪い歌」公開
◆サイクル4 <晩年期>
晩年期に入り、安定を手に入れる時期に入ります。
2010年5 88歳の年に妻の著書「ゲゲゲの女房」がNHKテレビドラマ化。映画化。
2013年8 92歳で「水木しげる漫画大全集」刊行されるなど・・・、
まだまだお元気にご活躍され続けています。
―――――――
彼の誕生数16‐7からみられるように、彼は、のんのんばあと出会い、そして戦地での体験を通して、人生のある時期から運命的な絆に吸い寄せられるように、神秘的な方向性へと向かいました。
Challenge数も同じ7で、妖怪漫画と言うこれまでになかった独自の視点を通して、自身が会得した多くの智慧や研究を世の中に広め、人々の心を豊かにしていきました。
運命数14-5で「妖怪」と言う未知の世界の解明と、それをわかりやすく人々に教え導く役割として妖怪百科事典なども出版しました。
Stage数2のイメージの世界と言う舞台により、価値ある創造物である「鬼太郎」「悪魔くん」など、親しみやすい漫画の主人公を世に送り出しました。
人生早期に左腕を失うと言うハンデにありながら、左腕を失ったことに対して「私は片腕がなくても他人の3倍は仕事をしてきた。もし両腕があったら、他人の6倍は働けただろう」、「命を失うより片腕をなくしても生きている方が価値がある。」と力強く語っています。
晩年には、戦地だったパプアニューギニアの現地人を幾度となく訪ねるなど、幅広い人々と交流できる自然な態度もNature数9を持つ彼の魅力の一つだと思います。
誕生数16‐7は、カルマの清算を強いられると言う少し厳しい数字にありながら、人々に未知の光を投げかけ、精神的な喜びを与え続けると言う魂の目的と実現数3。どんな時も明るく、楽しく、魅力的な人生を全うされ、彼なりのミッションをしっかりと果たされてきたように思います。
晩年、彼の人生は大きく花開き、素晴らしい一生を送られ方だと思います。
Reported by Cynthia
Aeons Numerology 5th term @ Kansai
April 9th 2014