毎日がめまぐるしく過ぎていきますね。
ここのところ忙しかったのと(仕事が)
体が思うように動かなかったのと
気持ちがブログに傾かなくて
また少し間が空いてしまいました。
今週ではやいもので
2人目が9ヶ月に突入します。
今までは娘にばかり意識がいって
2人目はほったらかしてばっかりだったので
(週数すら曖昧という…)
最近は毎日2人目のことばかり
考えています。
考えているうちに、いろんな思いが巡って、
ちょっと楽しいことが書けなくて
ここ2、3日は書いてはやめ、
書いてはやめ、を繰り返していました
今日はそれを断ち切るためと
2人目にちゃんと向き合うため
久しぶりに
手放し私信を書くことにしました。
この言葉に思うところがある方は
このまま記事をバックしてください。
いつも2人目、と書いている我が子ですが
厳密には3人目だと私は思っています。
今回授かったことが判明したのは
3月でしたが
実はその前にも2ヶ月ほど前に
妊娠反応がありました。
幻の2人目は化学流産でした。
化学流産とは、
受精はしたけれど、着床せず、
胎嚢が成長せず流れる現象です。
実は流産と名前は付いていますが、
厳密には流産ではなく、
妊娠しなかった、という部類に入ります。
ほとんどが受精卵の異常が原因で
どうしようもないことだし、
何より
化学流産だったことに気づいたのは
ちょっといつもとは違う出血の
その現象があって程なくして(1週間後)
本当の月の障りがきた時でした。
やっぱり勘違いだったのかな?から
あぁ、いなくなってしまったのね…
と気づいたわけです。
とても悲しい気持ちになりました。
2人目を切望して、
やっと出た反応だったので…。
正式な流産と比較すれば
体は傷ついていないし、
胎嚢も確認できていないし
心拍も見ていない(医者に行く前でした)
でもそれが逆にとても悲しかったのです。
この子は、
誰にも存在を認められない卵だったんだ
と思ったから。
その頃は、
第2子の妊娠・出産ラッシュと
悲しい知らせが同時にたくさん来ていて、
新しい命に対して
あまりにも色々な思いが巡っていたので
余計
悲しくなってしまったのかもしれません。
娘の時は、あまりにも早く反応が出て
妊娠証明書が出るまで
1ヶ月近くもかかったので、
次の子は行きたい気持ちを我慢した結果
残念な形になりました。
形がない子だったけど、
夫婦でだけは、
今でも頑張って宿ろうとしてくれた子だと
心の中で思い、時折振り返ります。
私にとっては特に
忘れられない記憶になりました。
程なくして、
本当にありがたいことに
今の2人目が体に宿ってくれました。
やはり健診を我慢して、
確信を持ってから医者に行き、
今に至ります。
娘の無理なオーダーに応えようとする
向こう見ずな私の体に
必死にしがみついて、
ここまで大きくなった2人目。
もちろんまだ油断はできないけれど
とても親孝行な2人目には
いつも感謝しています。
体は娘を優先してしまいがちですが
できるだけ同じ気持ちを割きたいと、
毎日話しかけることは欠かさないように。
そして、時折、
幻の2人目にも感謝しているのです。
化学流産は悲しい出来事だったけれど
その出来事のおかげで
改めて命の奇跡や生命の神秘を
感じるきっかけになりました。
化学流産した子が順調に成長すれば
それはそれは
ハッピーな出産がまっていたけれど
でも今の子には絶対に出会えなかった。
今の2人目は、
幻の2人目の代わりではないんだと。
それぞれがちゃんと
アイデンティティを持っていて
別々の人間なんだな、と感じました。
流産という言葉や出来事に対しても
考え方が変わってきました。
どんな形であっても
悲しかったという事実は変わらないんだ。
それを大小で比較したりして
推し量るのは浅はかだったな…と。
初期や後期流産の人にはその人たちの
そして化学流産にはその悲しみがあって
どっちが辛いとか、重いとか
そういう比較をするのは無意味だと…。
ただそこにあるのは
子どもが授からなかったという事実
その一点だけを受け止めて
思いを時折また馳せようと思います。
頑張って宿ろうとしてくれてありがとう。
そして、
必死にしがみついてくれてありがとう。
どちらも大切な私のたからものです。
だから、私のたからものは3人。
2人目の誕生日もほぼ決定しました。
性別は、ずっと暫定女子でしたが、
ここに来てお医者さんが
男疑惑を浮上させました
名前は…


