2020 東京オリンピックでの

ボランティアの募集が

いよいよ 始まるらしい

 

 

その応募条件を 聞いて

ハードルの高さに

ちょっと びっくりした

 

 

何を隠そう

私も

興味があったから

 

 

でも 残念ながら

その条件の前に 私の意欲は

針で突かれた 風船のように

シュルシュル と 音を立てて

縮んでしまった

 

だって

 

マンガに書いたような

あの条件では

認知症の親を介護しながらの それは

全く 無理だ

 

 

 

その後

 

オリンピック ボランティア

 

と ネットで検索したら

 

そこには   やはり

その条件の厳しさから

 

ブラックボランティア

だの

やりがい搾取

だのといった言葉や

 

 

文科省が大学に

学生がボランティアしやすいように

対応を促したことで

 

学徒動員

 

だのといった言葉まで 踊っていた

 

 

 

 

そもそも

今日の 肥大化したオリンピックは

 

その建前として

アマチュアリズムを掲げて

 

大勢のボランティアを 使って

主役である選手にも

お金が行くわけではない

 

その一方で

IOCやJOCには

莫大なスポンサー収入が 確実に入る

 

そのパラドックスを

内包しているからね

 

こういう時

いろいろ突っ込まれちゃうよね

 

 

 

 

私が アメリカに住んでいた 時

子どもたちは ちょうど 学齢だった

 

現地の学校から 親に

結構 気軽に

ボランティアとしての協力を お願いされて

 

こちらも

結構 気軽に

学校に 足を運んでいた

 

 

日本人の駐妻は

働いてない人が 多かったので

 

しょっちゅう 何人かで 学校に行っては

子どもに

日本の折り紙や コマや かるたを

つくってみせたり

 

七夕や こどもの日や 着物などの文化を

紹介したり

 

日本昔話を紙芝居にして

下手な英語で

読んであげたりしたことも あった

 

 

地元で イベントがある時に

焼き鳥や お寿司のブースを出したことも

 

 

 

振り返ると 在米中は

自分でも驚くくらい

ボランティア してたな

 

 

でも

プレッシャーとか 負担とか

別段 感じなかった

 

 

やりたくない時は

やりたくない

と    当たり前に言えたし

 

 

学校に出入りすることで

先生とも 親しくなれて

 

そこでの子どもの様子が

垣間見えるのも うれしかったし

 

 

何より

みんなから感謝されて 喜ばれて


ボランティアって 楽しい

と 思ってた

 

 

 


 

日本に帰国して 数年後のこと

 

私は

地元のお祭りに 行った時

驚いたことがある

 

 

アフリカの避難民に

毛布を送る活動をしている

NPOだかNGOだかが

未使用の毛布を 集めていたブースが

目に入って

 

我が家には

昔 いただいて

しまったままの毛布が

いくつかあったので

 

これは いい機会だ

それらを寄付しよう

 

と そのブースに立ち寄った

 

 

そこで 受けた説明は

 

毛布を届けるのに

一枚 2000円の送料が かかる

 

だから 毛布を寄付する人は

2000円の送料を 負担してください

 

と いうことだった

 

 

私は

ずいぶん 理不尽な話だ

と 思った

 

 古い毛布は

いくら 未使用でも

もう 市場価値は   ないのだろう

 

でも 少なくとも

私が 今 使っている毛布は

それよりも ずっと くたびれている

 

そして

 

もし 誰か 毛布を必要としている人がいるなら

どうぞ 新しいものをお使いください

という気持ちは ある

 

だけど

 

その気持ちを表すのに

2000円のお金が 必要だとしたら…

 

 

 

私は

 

じゃ 別に いいや

 

と 思った

 

今使っている毛布は

まだ何年か 使えそうだけど

 

来年あたり それを処分して

新しい毛布を 自分のために卸して

使っちゃおう

 

そう 考えた

 

 

 

だって

 

 

私が アメリカに住んでいた時

 

地元の教会が置いている

リサイクルボックスが

街の いたるところにあって

 

不要になった服や 雑貨は

いつでも 気軽に そこに持っていっていた

 

 

 それを

ボランティアで 回収する人がいて

 

ボランティアで 分別する人がいて

 

ボランティアで 販売する人がいて

 

その売上げは 教会に ドネーションされていた

 

 

全てが うまく

ボランティアで回っていた

 

 

そこに 制約や 強制 条件

といったものは

一切 なかった

 

 

 

 毛布を寄付したい 人がいて

 

お金を寄付したい 人がいて

 

自分ができることを できる範囲でするのが

ボランティア

 

 

そう 思っていたから

 

 

 

 

ちょっと 前

スーパーボランティアおじいちゃんの

ニュースが 耳目を集めた

 

 

災害が起こると

どこへでも いち早く 駆けつけ

ボランティアをする

 

その 名物おじいちゃんは

2歳の男の子が

行方不明になった ニュースを

聞きつけて

捜索に協力しよう

その時も 現地へ 駆けつけた

 

そして

男の子を見つけた

 

 

男の子の家族は 大喜びで

 

そのおじいちゃんに

なにか お礼をさせてほしい

と 言ったのだけど

 

おじいちゃんは

自己完結するのが ボランティアの基本だ

というようなことを 語り

お風呂さえも 断ったそうだ

 

 

それは 確かに 正論で

 

災害があって

混乱している地域に行く時は 特に

細心の注意をするべきで

 

行った先に 負担を強いるような

 

行くことで

却って 迷惑をかけるような行為は

慎むべきだ と思う

 

 

 

その スーパーおじいちゃんは

自分のボロボロの バンに

僅かな年金で 手に入れた

生活に必要な 全てを積み込んで

 

利他の喜びを 自らの喜びに代えて

西に東に ボランティアする旅をしている

 

 

おじいちゃんの その生き様は

メディアで 称賛された

 

私も 感動した

 

 

自分も いずれ 煩悩を削ぎ落として

ああいう境地に

達することができたなら

 

そう 思った

 

 

だけど

 

 

誰もが 目標に掲げるには

そのおじいちゃんは

あまりに スーパー

 

ハードルが高すぎる

 

 

 

だから

 

私のような 凡人は

 

自分の空いた時間を

 

ちょっと 誰かのために使いたい

役に立ちたい

 

そういった 気軽な気持ちから 始めて

 

みんなが

ちょっとづつ ちょっとづつ

 

 

そして それが うまく噛み合えば

 大きな力になるし

 

 

そしたら 喜んでもらって

こっちも うれしい

 

 

 

ボランティアって 本来

そんなものじゃないのかな