母の日らしい 笑
今は亡き 私の母は
強烈な人で
かなり頭がおかしい女だった
母の教育は簡単に言うと
D・K・B
要約すると・・・
恫喝
脅迫
暴行
笑笑
(これ、暗い話でも不幸話でもなく
普通の思い出?話なんで
いつも通り 読んで頂ければ幸いです)
子どもの頃から
母の顔色だけを見ていた
とにかく怒らせないよう
細心の注意を払っていた
しかし、そこは子どものすること。
やはり間違ったり
ダメなことをしたりしてしまう
それで叱られるだけではなく
母の機嫌で いろんな攻撃をされる
理不尽のオンパレードだった
怒り出したら 気の済むまで
怒鳴り散らし 翌日以降は
フル無視
幼稚園児であろうが容赦はなかった
何週間も 目すら合わせて貰えない
私は罵倒や暴行より
この無視が一番辛かった
そんな私に反抗期はなかった
そのまま大人になり
常に母の顔色・ご機嫌が
自分にとって最優先事項だった
そして
私が30代半ばの頃、
母と口論になった
理由は・・・私の離婚問題。
私は離婚届を出したい、
母は出すな、で押し問答に。
その中で母が私に
「ワタシの気が済まへん!!怒」
と言った・・・
この一言で私はキレた
母は「うちの娘(あぐり)を
こんな目に遭わされて 易々と
離婚なんて 私の気が済まない」
というニュアンスのつもりで
放った一言なんだろう
が、私にはそうは思えなかったし
事実、違うと今も確信している
なぜなら・・・
母はいつも自分の気持ちが
一番大事な人だから。
私のことを想っている風なだけで
私の気持ちは全く考えない人だった
考えてくれたことなど 一度もなかった
だから、私は母の
「ワタシの気が済まへん」発言に
私の離婚で
何でお前の
気を済ませな
あかんねん!
お前は今まで
ただの一度も
私の気が済む
ような生き方
してへんやろがいっ!!
(╬⊙д⊙)
と思ったのである・・・
で、大喧嘩となり
私はそこから3年間
母と顔を合わさず
口をきかなかった 笑
別に復讐とかじゃない。
30数年、積もりに積もったものが
爆発しただけ。
遅過ぎた反抗期 笑
これをキッカケに
私は少しずつ いろんなことに気づいていく
そして 後にわかった・・・
私、この女、大嫌い
子どもの頃から
ずーっと嫌いやった!
好きにならなあかん
って思い込んでた!と。
母を嫌いな自分に気付き
それでもいいんだと思えて
それまでのしんどさは
幾分がマシになった
そして、怒りが過ぎると
母への感情は無になった
憎しみもない。
嫌いもない。
母という人に対して何も感じない。
母は令和元年5月12日
30年来の愛人に看取られて逝った
その顔は笑みを浮かべていた
私もうちの子らも
1ミリも泣かなかった
泣けなかった
泣けるワケがなかった 笑笑
母の家を整理していたら
山のように出てきた写真↓
母と愛人の旅行の写真
もちろん、この当時
父と私、母の三人家族だった
母はわざとらしい
アリバイ工作をして
よく旅行に行っていた 笑
私も父も知ってたけど
知らん顔してた
母が居ない方が平和だったから。
母は今風に言うなら「毒親」
でも、毒なんて生優しいもんじゃない
私は毒の方がマシだと思う
「無償の愛」って言うけど
それは親からではなく
子どもから向けられるもの を
そう呼んでいいと思う
いろんな人間がいるように
親もいろいろ、子もいろいろ
お母さん大好きな人は
大好きでいいと思うし
そうじゃない人もいるってだけ。
たまたま、私の母と名のつく人は
ああいう人だったけど
居なくなって解放された
まだ、たまに生き辛さは出てくるけど・・・
世界のすべてが母だった幼い頃、
怯えて布団の中で声を殺して泣いた頃、
母の意のまま振る舞っていた頃、
母に愛されようと勘違いしていた頃、
いろんな頃の私なりに頑張った
私は頑張った・・・
あの頃の私と
親のことで苦しんでる人に
言ってあげたい
親を嫌いでいい
親を憎んでいい
親を捨ててもいい
あなたを
苦しめたり傷つけたりする人は
許さなくていい
奇しくも明日は母の命日
母を偲んだわけじゃないよ
思い出話じゃなく
公開悪口 書いただけ
あ〜、スッキリ!!笑
お母さんと良い関係の人は
お母さんにうーんと親孝行してね❤︎
(=´∀`)人(´∀`=)



