おはようございます。
逢ってきた紹介したいひともいるのですが、
前回のつづきです。
今日は、
わたしが、小さい時に産んでくれた母のことを知った時のこと、お話したいと思います。
少しだけ、眼に見えないお話もあります。
わたし、産まれたのが予定日より1ヶ月前でした。
母の身体が危なかったと聞いています。
産まれた時は、しばらく保育器に入っていました。
しばらくお世話になった、
お父さんの弟家族の年の近いお姉ちゃんの後をくっついて、真似っ子して、
3歳でピンクレディーを歌って踊っていたみたいです。(写真でみた)
お姉ちゃんと遊んでいた頃の記憶は、所々残っています。
楽しかった。喧嘩もしました。
あ〜、思い出して泣けてきた。
この頃から、
昔から何となく思ったことが現実になったり、
ぼーっと、していると何か聞こえてきたり、
していました。
5歳の時、「お母さん違うかもしれん。」
って、何となく思いました。思うって言うより、言葉が降りてきた感じです。
(このことは忘れていて、実際知った時に後で思い出します)
わたしが、産んでくれた母のことを知ったのは、小学校2年生の時、7歳です。
お父さんのお母さんが亡くなった時に、家で見たことのない小さなアルバムを見つけて写真を見ていました。
昔から父は、写真を撮るのが趣味で、家で現像する程、凝り性な父です。
写真は、お葬式の写真でした。
父に抱き抱えながら一緒に写っている写真ばかりです。
「お葬式の写真?」
「誰が亡くなったの?」
「弟いいひんから、まだ弟産まれていない時か。」
「何でお父さんとわたし真ん中にいるの?」
「お母さんは?」
「何でお母さんいないの?写ってないの?」
「何で」と「?」
わたしは、お母さんを写真で探しました。
『お母さんは、どこにもいない』
『お母さんお葬式の時の写真』
その時に身体全体に悪寒が走ったのを今でも覚えています。
胸でガラスがヒビ割れたような音が聞こえました。
ショックで泣いていました。
胸が苦しくて横になりました。
泣いても泣いても涙が止まらなくて、
声もどんどん大きくなっていきました。
その頃、引っ越しをしていて、
お父さんとお母さんは、1階で仕事をしていました。
弟は2件隣の保育園にいます。
部屋にいるのは、わたしだけでした。
多分1時間くらい泣いたと思います。
泣き崩れた後、
わたしは、
「まって、わたしお母さん違うかもしれん。って、前に聞こえたことある。悲しまないように、あの時おりてきたんやな。大丈夫。わたしは大丈夫。」
と、平常心を戻すのに必死でした。
『知ってはいけないことを、知ってしまった。
このことは、いつか親が、話すかも知れん。
話すとしたら、結婚する時か子供が出来たときかな。
このまま話さんかも知れん。
内緒にしてくれていることや。
わたしが、お母さんが亡くなったことを知っていることは、親や親戚、誰にも知られたらあかん。絶対知られたらあかん。なるべく平常心で、いい子でいよう。』
と自分に誓いを立てたこと、今でもはっきりと覚えています。
この誓いを立てないと、日々を過ごすのに辛かったんだと思います。
わたしは、この頃から、
いい子でいるように、
バレないように、大人しくなりました。
子供らしくなくなりました。
何でも『はい』と言うことを聞き、
(今は返事だけだけど)
『これがいい』
『こうしたい』
を、思わなくなり言わなくなりました。
周りの状況やひとの顔色を以前より見るようになりました。
自分は、いるけれどいない、
自分を出さない出せなくなりました。
『どれがいいの?』と、聞かれても
『わからん。何でもいい。』
自分で選ぶことができなくなっていました。
大人しい、わがままを言わない、あまり子供らしくない子になりました。
もともと、嘘がつけない性格です。
思い出しては、ひとりで泣いていました。
そばで見ていたお母さんは、元気がないというか様子がおかしいと思い、夜お母さんに呼ばれました。
「純子、なんか隠し事ないか?」
「ない。」
「苦しんでないか?」
「ない。」
「言いたくても、言えないことないか?」
「ない。」
「かまへんから、怒らへんから、言いなさい。」
「苦しんでないか?」の言葉で、わたしは、泣いていました。
「ない。」
「お母さん、純子見ていて、つらい。」
お母さんって、すごいです。
わかるんですね。
今となっては、
「つらいの言葉はずるい。誘導尋問やん。」って、冗談で笑って言えるけど、「お母さんつらい。」の一言で、とうとう伝えることにしました。
どう言葉にしていいかわかりません。
2.3分考えたと思います。
「あんな、お母さん。
お母さんは、お母さん違うんやろ。
純子を産んでくれたお母さん、亡くなったんやろ。
純子、知ってるねん。」
お母さんは、すぐにお父さんを呼びに行きました。
お父さん、お母さん、わたし。
3人で話することになりました。
なんで知ったのか、
「家にあったお葬式の写真をみて。」
いつ知ったのか、
「7歳のとき。」
(5歳のときに、言葉が降りてきたことは話せませんでした。)
お母さんは、わたしを抱きしめてくれました。
ずっと、抱きしめてくれていました。
やさしくて、暖かかったです。
わたしは、お母さんが抱きしめてくれた時の感覚を今でも覚えています。
「ずっと言えなくてしんどかったやろ。」
それから、お母さんは、産んでくれた母のことを話してくれました。
一度、流産していること、
どうしても、どうしても子供が欲しくて、
願って願ってわたしが産まれたこと、
母が病気になったこと、
お父さん、お母さんで決めたこと、
わたしの名前をつけた、産んでくれた母の思い、
たくさんお話をしてくれました。
こういうときって、男性は見守る感じになるんでしょうか?お父さんは、黙って横にいました。
お父さんとお母さんは、母のことをわたしが結婚する時に話そうと思っていたみたいです。
「純子、お母さんが聞かへんかったら、ずっと黙ってるつもりやったんか?」
「うん。純子は、知ったらあかんことやったんやもん。」
「あんた、すごいな。」
と、お母さんに言われました。
わたしもお母さんも少し心が晴れたように感じ、
「これからも、よろしく。」と、お話は終わりました。
2年後、
小学4年9歳の出来事です。
その時は言えなくても、時がきたらわかること。
必要な時に、必要なことがおこる。
大人になってわかるけど、子供の頃はわかんないですね。
抱えていたことを、聞いてもらって楽になりました。
子供は、お母さんを選んで生まれると、
最近よく耳にします。
子供は、ぜんぶわかっていると。
お母さんが、悲しまないようにそばにいるんだそうです。
離婚も再婚も。
死に別れはどうなんだろう?
『それもわかっていたのかなぁ。』
って、今は思います。
お母さんの子供が欲しい。って願いは叶えられたんだもん。
寿命は、仕方ないのかも知れません。
わたしは、
自分が傷つかないように決めた決め事(思考=マインド)、
自分を守るための思い込みで、
自分を苦しくしていきます。
ここからが、自分との戦い。
『自分らしさ』
『本来の自分に戻る』
本気で向き合うことになります。
つづく
今日も、最後までお付き合いいただきありがとうございました。