前回の更新から随分と日が経ってしまいましたが、
こちらの続きをもう少し書かせてください✨
わたしは、義母がよく言っていた、
とても印象に残っていて好きな言葉があるのですが
それは
「うまくやらんね(うまくやりなさい)」
という言葉です。
義母の「うまくやらんね。」という言葉は、
心にじーんと優しく響くのです。
人付き合いや恋愛や結婚やビジネスなど、
なにかにつけて「うまくいく方法」というテーマのテクニックを教えるような本や情報が世の中に溢れていますが、
義母の言う「うまくやる」は
そのような「ものごとを思い通りに運ぶ」という意味ではなく
「きちんと向き合いなさい」
「愛をもって行動しなさい」
「あなたなら最善にできるでしょう?」
そんな意味にとれるような、
優しく凛とした心が伝わってくる言葉でした。
愛を持って人と接すること。
愛を持って答えを出すこと。
それが、最善で最も賢明なことなのだと
わたしは義母の在り方から学びました。
去年の5月に「余命半年」と告げられてから
夫が治療方針などで主治医の先生に意見をしようとすると、義母は
「先生がよくしてくれてるけん、なんも言わんでよかよ」と静かに言った。
なにごとも否定することなく受け容れてくれる義母だったけれど、
夫が会いに行こうとすると
「来ても何もしてやれんけん、こんでよか」
と言い続けた。
夫は、義母のその気持ちを尊重した。
自分が行くことで負担になるのでは、と考えて会いに行くことをしなかった。
会えなくてもほんの少しでも長く生きてほしいという夫の気持ちが痛いほど伝わってきて
わたしは二人のお互いを大切に想う気持ちに口を出すなんてできず、
もどかしく思いながらも
「どうか最善のかたちで会えますように。」と祈るしかできませんでした。
なにが正しいのだろう、どうするのが最善なのだろう、わたしに何ができるのだろう、
そう考えながら過ごした半年間でした。
12月に入って義母の容体が思わしくないとの連絡があり
その翌日に夫は義母に会いに行きました。
意識が朦朧とする日が続いていたようですが、
夫と過ごした数時間は意識がはっきりとして
穏やかで、元気にすら見えたそうです。
「来るなって言ってたけど、帰ってきて嬉しかろ?」と夫が聞くと
「そりゃー息子やもん、あたりまえよ」と笑ったという。
夫が「してもらうばかりで悪かったね」と言うと
義母は「なんばいいよるか。本当に世話になったねぇ。」と夫を見てしみじみ言ったという。
そうして、その4日後に旅立ちました。
あまりにあっという間の7ヶ月だった。
本当に。あっというまだった。
でも、
これ以上ないほどにじゅうぶん与えていただいた。
そんなふうにも思うのです。
自分自身と大切な家族に向き合う時間を。
正しさ、優しさとはなにかという問いを。
受け取った愛を還元するにはどうすればいいのか、そう真剣に考える機会を。
心の準備をする時間を。
義母は与えてくれました。
人生の幕の閉じ方まで、最後の最期まで義母らしくて
「義母の選択は全て正しかった。」
「義母の人生は美しかった。」
そう思わずにはいられないのです。
義母の優しさに「正しさ」を感じるのは
"「真」の優しさ"だからだと思う。
言葉にするのは難しいけれど、「真」かどうかはきっと誰もがわかること。
心で感じたらすぐにわかることなのだ。
わたしは、
目の前の大切なひとに心を向け、
いつもよりよい自分で在ることができるように。
正しい、最善の選択ができるように。
そう願うその心を忘れないように。
生きていきたいと思う。
決して消えることのない、義母の優しく美しい足跡は
今もわたしに「真の愛」を教え続けてくれています。


