昨年の12月に義母が亡くなりました。

余命半年、と知らされてから7ヶ月後のことでした。







昨年1年間は

様々な出来事を受け止め
自分自身と向き合い、精一杯考え学んだ、

わたしの人生において大切な1年となりました。



そのことについて書きたいことは色々あるのですが。






なにより先に、大好きな義母のことを
ここに記しておきたい。





 




義母は謙虚で優しいひとでした。



目の前の人を本当に大切にし、誰に対しても分け隔てなく接し、敬意を払っていた。





いつも「感謝せんば」と言い、

決して人より前に出ようとしたり
自分の存在価値を誰かに示そうとすることはなかった。





夫が仕事の愚痴をこぼせば「そんなこと言わんと感謝せんばだめよ」とたしなめた。


夫が誰かを馬鹿にすれば「またそんなこと言って。あんたがワガママよ」と諭した。


いつも「周りに迷惑かけたらだめよ」と言っていた。




義母のその言葉の端々から。
口調や眼差し、放つもの全てから、愛が滲み出ているのを感じていました。






わたしのことは出会った時からずっと「まゆみさん」と呼び、
ひとりの女性としてとても大切にしてくれました。




母であることを
妻であることを

いつも労い気遣ってくれた。





わたしが何をせずとも
「ありがとう」と優しく感謝を伝えてくれました。





美しい満月の日に旅立ちました。






結婚してから欠かすことなく、子供たちだけにでなく

わたしにもお年玉とお盆玉とお誕生日にお小遣いを送ってくれた。




母の日や義母の誕生日にプレゼントを贈れば
「こっちのことはよかけん、子供たちにしてやってよ」と言った。




そう言いながらも、とても喜んでくれ
贈ったものをいつも目に見えるところに置いてずっと大切に持っていてくれた。







義母は、利己的な考えを持つことなく
かといって利他的なわけでもなく

そもそもそんな損得勘定からかけ離れたところにいるようなひとでした。





いつも誰に知られなくとも陰で誰かを支え、
そっと手を差し伸べていたにも関わらず

決して「自分の手柄」として表に出すことはなかった。






その姿がとても自然で温かくて、

ただ目の前の人を大切にするというシンプルなことが


人間の持つ本来の優しさ、喜びなのだと

わたしに教えてくれました。












お通夜では、来られた方々が涙ながらに
「本当にお世話になったのよ」とお話ししてくださり、

そこにいる人たちが静かに頷き、義母を想い涙を流しました。






わたしには自分の中だけでそっと大切にしている、義母に甘えさせてもらった思い出があるけれど


みなさんがそれぞれに、

誰に言うでもない、義母のやさしさにたすけられた思い出を持っているのだと知りました。






周りにいる人、みんなが義母を大好きだった。






お通夜の日の空。








自身の爪痕を残そうとしない在り方が
こんなにも美しい足跡を残すなんて。



義母がわたしに、そんな優しく美しい足跡を残してくれました。









(続きます)