伝えることの自由
日本人は、空気を察して動ける人種と思われるが
それは思い込みだ。
それができたら、言葉は必要ない。
人間関係で悩んだり喧嘩することはないのだ。
思ってることは、言葉にしないと伝わらないし、
私は3月末に足の甲を骨折して、ギプス生活をしている。
初のギプス生活に惑いと不自由さを感じ、見た目も痛々しく
主人は、この気持ちを察してくれるだろうと思っていた。
しかし、現実はそうではなかった。
怪我をした次の日は痛みで歩けず、
助けを求めたが、拒否られた悲しい事実があった。
じぶんの不注意で骨折し、迷惑をかけて申し訳ないと
感じていたため、自分が悪いというじぶんへの強い
ダメ出しが前提にあったのだ。
危ないから家に居ろとは言うが、何をするわけでもない。
動くのが大変だろうと察するどころか、気にも留めないのだ。
不自由さを全く理解してくれないのだ。
家族であれ、他人だ。
こうして欲しい!
そう、はっきり伝えなければ相手はわからないのだ。
それを理解するのに、時間が掛かった。
何でだ?どうしてわかってくれないのだ?
最初は、お願いすることに躊躇し勇気が要った。
慣れていなかったからだ。
今まで自分のことは自分でやってきたため
じぶんでやることが当然だと思っていた。
そのため、お願いして断られたり、小さなことで呼ぶと、
嫌がられるのではないか?
欲しいのは、それじゃないと相手に伝えるのが
怖かった。
迷惑をかけ、気分を悪くさせてしまい、
じぶん自身も辛いく悔しく悲しい思いをし、
拒否されたと自分自身に思うのが嫌だったのだ。
しかし、、、
伝えることを遠慮したら遠慮した分しか伝わらない。
歩行は松葉杖を使うため、両手が塞がっている。
コップや皿を運ぶことができない
ドアが重たいと開閉が大変
スーパーに行って、かごが持てない
階段の段数が多かったり幅が狭いと登れない
小さな段差が危険。
頼らなければできないことが多いのだ。
ムリにひとりで動いてバランスを崩せば、
2次被害が起こり、更に悪化する可能性もある。
家族だから、
察してくれる、わかってもらえると思い込んでいた。
ここまで言わないとわからないのか?と思う程、
私の考えてることは察してもらえず、
しぐさをしても気づいてもらえず、
しぐさに気づくと、要望を言いなさいと言われる。
言いづらいから、わかれよ!と思う。
だが、相手の考えや状況は、言わないとわからないのだ。
怖くても、伝えてみるしかないのだ。
察するとは、
他人に敏感であるか、
同じことの繰り返しか、
過去に同じ状況を経験したから、察せられる。
それ以外でわかったら、それは、たまったまだ。
隅々までを察することはできないのだ。
察せられるのは、気分が良いか悪いかくらいだ。
何が必要かなんて、他人にはわからないのだ。
それでいいのだ。
だから、言葉を使って望みを伝えるのだ。
じぶんの自由のために。


