先日、車で旧道を通った。そこは国道と呼べるものがなかった時代の、山間の村々を繋ぐ大切な道だ。国道ができた現在、今この道を使うものは、過疎地となったそこに住む人々のみと言っていいだろう。私がこの道を通った理由も、そこの人を送り迎えすることがあったからだ。
県道から脇に外れ、川に沿って徐々に細くなっていく道。三叉を後部座席から案内された通りに曲がるのはいいが、帰り途どうしようと運転しながら途中考えた。まさに「途中」だなと漢字に関心、いやいやこれは頭が寄り道してる。
人の住んでいる道ならば基本舗装されていることには本当に関心するが、それ以外の光景はまさに原風景。こんな景色をみるといつもタイムスリップした気分になる。「以前は学校があった」と言われた跡地から当時の子供達を想像する。ひと家族に5〜6人の子供は当たり前の時代の、木造の学校。子供の声、足音。
跡地は未だ茂っていない。草刈りは絶やさない。それはまだ学校が「ある」ことを意味している。みえないシンボルとして、住む人の心に。
蛇のような道を帰り、県道へ出た。車は流されるように進む。トンネルを抜けた時、タイムスリップが解けたんだと悟った。