本日1記事目
週に一度の皮下注射。
母のリウマチの薬。
母がこの注射を選んだ時、
母に、
一緒にやろうね。
わたしがいるから安心してね、といい、
水曜日はずっとずっと一生、母の隣で見守ると決めていた。
なのに先週水曜日、
母は、わたしから
今日注射だよ。と言われた後、1人で準備をして済ませてしまった。
わたしが部屋に様子を見に行くと
母は手順を間違えながらも無事に注射をやり終えて、
自分1人でもできた。
自分がやると、よくわかった。
あんたに頼り切っていたけどお母さんもできた。
と達成感と自信を感じているのだった。
1回目、2回目、3回目も、
注射の準備から混乱した母は、
あんたがいてくれて安心する、と言い
一緒に一つ一つを確認した。
わたしは母の安心の役割として、隣にいられることが誇らしかった。
せっかちで待てぬわたしを、待つ喜びに変えてくれた母。
今朝起きてきた母に
今日は注射をしようね。
一緒にやるよ。
と話したら、
うん。お母さんもう1人でできるから。
あんたは好きなことしてなさい。
というではないか。
母は、水曜日の注射の予定さえ声をかけたら、
自分で注射を打てるようになった。
母が1人でやれるまでそばにいてやり
安心が満タンに満ちたら
母だって娘のように旅立つ。
一生母に捧げる水曜日、
の娘の覚悟も知らず
母は娘に迷惑かけるまい、という愛情で、なるべく1人でやる。
安心、という難しさを知るわたしは、
あの手この手で家族に安心に浸からせたいと思い、
その結果、安心を貯金した家族は未来へ希望を持ち旅立ってゆく。
安心だからと自分のそばに置く幸せではなく、
安心だから自立して旅立てる。
人間関係は子育てのようだと
朝から切なくなる。
わたしは親から不安を煽られ、世の中は厳しいと思いながら旅立った。
その連鎖を自分で断ち切る人生でありたい。
誰かに世話を焼き、
安心に満たされる顔を見ながら、自分も幸福にしてもらっている。
旅立ちや切なさは繰り返される。
いつか慣れるのかな?
と思いながら、今日もまず自分の安心まで見守りたい。
Meg.

