本日2記事目
スーパーで買い物しながら
もし今、娘が3歳なら
どんなふうに関わりたいか?
と夫と話した。
そりゃあ、
俺はあの子にベッタリさせてやる。
と言い
わたしは、
「パパならお風呂も、寝かしつけも、絵本もなんでもなんでもしてやりたいだろうねえ。」
と話していた。
今の夫で、
小さな娘と触れ合うことは
喜びであり、
感謝であり、
無償の愛からくるものだと確信する。
あの頃。
わたしは一人で育児や家事をしていたし、
夫は仕事に比重を置く日々で
育児は大変なもの
土日や夜は夫が体を休めるための日だった。
ひな祭りの菓子や人形が並ぶ店内で
今なら、
仕事やパチンコより
娘との時間を優先する。
という私たち。
娘との時間は
一瞬で変化して
2度と戻れないものとわかってるもの同士。
スキーやキャンプに連れて行ったのに。
公園や動物園に行ったのに。
もっと辿々しいおしゃべりや、想像の話を聞いたのに。
一緒に笑って泣いて怒ってもよかったのに。
今なら、今なら、と
わたしたちは一瞬で通り過ぎた娘との期間を
少し悔いるのだ。
そう考えるのは親のエゴで、
娘は1000%の体験をし、
素晴らしい人間として生きている。
あの子がやりたいこと
あの子がしたかったこと
あの子と一緒にあれもこれもしたかった、と。
そんな風に話しながら
あれが精一杯だった
あれしかできない自分たちだった
よくがんばっていた
仕事をして、経済の心配をさせなかった、
よくやった、と労い合う。
今のわたしは、
夫はどんなにお風呂に入れるのが丁寧だろうか、と想像し
絵本なら何回せがまれても読んでやるだろうと軽々思う。
夫なら喜んでやる。
夫なら、やりたくてやりたくてやる。
観葉植物を誰よりこまめに観察し
もう手をつけられないオーガスタを生き返らせた。
わたしや母の観察をし、
昨日と違うことにすぐに気がつくのは夫である。
どうせやってくれない。
どうせ、疲れたと言うだろう。
そう夫を決めつけたわたしだった。
あの時、夫を信頼して一緒になんでもしてよかった。
そんなわたしだって、
生き抜くために知恵を出し、ご近所さんと助け合っていた。
ああ、よくやった。
わたしも、夫も
あの時の1000%で。
いつかやる、
いつか時間ができたら、
仕事がひと段落したら、
と後回したツケは
今しかない、と
二人で色んな場所に出向き
会いたい人に会う
ありがとうやごめんなさいを伝えることに払っている。
娘が生まれてからの10年は
家族に一番変化があった濃厚な日々だった、と思う。
父や母や義父母たちに言われた
この時期は帰ってこない、という一瞬の10年、
わたしたちもつかみ損ねて
こうして夫婦で今の時間を味わい尽くす。
今朝は早起きして
発酵を終えたパン生地を
ホームベーカリーからとると、
母乳のような香りと
白く柔らかい感触が
娘の頬やお尻と重なる。
やっぱり今だって
あの子に会いたい。
あの時のわたしに会いたい。
あの頃の夫に会いたい。
結局は
みんなを抱きしめて、
よくやってる。がんばってる。
と言ったら
あとは自分でわかるまでほおっておくんだろう。
母に、早朝のパンは娘のようだった、と話して
11歳から生き直し、
駆け抜けた日々もまた、美しく、瞬く間にすぎた、と思う。
久々に娘が赤ちゃんの頃のビデオを見たくなったよ♡
Meg.

