一昨日のブログを読んでくれた方から質問がきた。
Mさんとは別の方だ。
Sさんとする。
「この世界は夢だという言葉は他の方からも聞いたことがあります。でも私の現実生活のうえでは全く信じることができません。失礼を承知で本当に純粋な思いから、この世界が夢だという確証があれば知りたいです。武藤さんは確証が持てたのでしょうか。」
ブログでの回答希望ということ。
失礼でもなんでもなく、誰でもそう聞きたくなる。
まずは、確証が欲しいと思う位のSさんは真実に近づいている。
モヤモヤした思いはSさんの、「真実を知っている部分」と現実世界とのズレだ。
私たちみんな、すべての人は奥深くに「真実を知っている」部分を持っている。
その部分がこの世界をみながら、(何かが違う)と感じ始めたのだ。
期待に添えず申し訳ないが、私が確証を渡すことはできない。
自分自身がこの世界の体験の中で近づくしかない。
Sさんの質問とこの回答もSさんの体験だ。
私たちは自分の信念でこの世界を投影し、体験をしている。
見ている世界もその世界のなかの誰かも、自分の身体もすべてが投影だ。
自分の無意識を投影し、そこで体験しながら真実に近づいていく。
今は夢だなんて思えなくてもいいから、「もしかしたら夢なのだろうか❓」と疑問を持ってこの二元的世界をみるようにしてみる。
そんな風に疑問を差し挟みながら進んでいく先に必ず気づきがある。
時間に対する感覚がいつも違ったり、自分が認識している世界と誰かの認識している世界が違うことに気づいたり、身体の痛みが眠っている間は意識されなかったり、肺が健康なかなりのヘビースモーカーに出会ったりとその他いろんなこと。
そんなことを繰り返していると時々何かが腑に落ちて、自分の中では確証に変わったりする。
気づきの形は誰かと同じでなくても構わない。
この世界を夢をみている意識を丸ごと抱き続けている、果てしない存在に気づき出すのだ。
それがどんどん深まって、もうそれは信じることさえ必要なく、何もかもが満たされていたと感じる瞬間がやってくる。
信念も努力も何も必要なく、夢ではない真実とはいつでもひとつのままだったとわかる。
でもその感覚が自分から去っていっても心配いらない。
行ったり来たりを繰り返しても、去ってしまえることは決してない。
それほど当たり前にひとつなのだ。
確証は突然やってくるからまずは疑ってみる。